人生

不正を働く者がいた――人生断章〈9〉

 松下電器がまだ五十人くらいの規模のときのことである。  従業員のなかに工場の品物を外に持ち出すという不正を働く者が出た。  それは幸之助にとって初めての体験であった。

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字の書けない事務員――人生断章〈8〉

 大阪電灯会社に勤めていたあるとき、幸之助は職工から事務員に抜擢された。“ろくに学校を出てもいないのに事務員に選ばれるとは”と、幸之助は非常にうれしく名

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唯一無二の宝物――人生断章〈7〉

 最初の奉公先の火鉢店が、幸之助が入って三カ月で店を閉めたため、幸之助は親方の知りあいの五代自転車商会に移った。大阪船場の堺筋淡路町。商都大阪でいちばんの商売の中心地である。幸

人生

危機のなかの慰労会――人生断章〈6〉

 昭和二十三年秋。松下電器はGHQから七項目に及ぶ制限を受け、再建もままならず危機に瀕していた。そんななかである日、幸之助は友人の邸宅の一部を借り、在阪の幹部数十名を招いてすき

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あらええで、もろとき――人生断章〈5〉

 大正四年九月、幸之助は井植むめのと結婚した。幸之助二十歳、むめの十九歳。  見合いを勧めたのは姉である。    「九条の平岡という炭屋からこんな人がいると勧め

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おれは運が強いぞ――人生断章〈4〉

 幸之助は、十五歳のとき、町を走る市電を見て電気事業にひかれ、六年近く勤めた五代自転車商会をやめた。そして大阪電灯会社への入社を志願するが、欠員が出るまでの三カ月間、セメント会

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五銭白銅の感激――人生断章〈3〉

 幸之助は九歳のとき、単身大阪に奉公に出たが、最初の奉公先は、八幡筋の宮田火鉢店であった。親方と何人かの職人が火鉢をつくり、それを店頭で売るという半職半商の商店で、ここで、朝早

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運命の分かれ道――人生断章〈2〉

 大正七年に松下電気器具製作所を創設し、ようやく軌道に乗り始めた翌八年の暮れのことである。大阪電灯会社時代の知人がひょっこり訪ねてきて、幸之助に一つの提案をした。  

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紀ノ川駅の別れ――人生断章〈1〉

 幸之助が社会に第一歩を踏み出したのは、尋常小学校四年の秋のことである。  生家は村でも上位に入る小地主で、かなりの資産家であったが、幸之助が四歳のとき、父親が米相場で失敗、

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