大正四年九月、幸之助は井植むめのと結婚した。幸之助二十歳、むめの十九歳。
見合いを勧めたのは姉である。
「九条の平岡という炭屋からこんな人がいると勧めてくれたが、おまえどう思うか。聞けば淡路島の人で高等小学校を出て、裁縫学校を卒業後、大阪に来て京町堀のある旧家で女中見習い中の人であるということだが、いっぺん見合いをしてみてはどうかとのことだ。おまえがよければ、先方にそう返事するが……」
姉には、亡くなった父や母、兄弟姉妹をはじめ先祖のまつりをするためにも、早く弟が家をもつようになってくれれば、という強い気持ちがあった。
幸之助は、これも縁というものだろうと、深く考えもせずに承知した。
その当時、見合いといえば、良家の子女はともかく、一般的には、道ですれちがうだけといった簡単なものが多かった。二人が会って話をするというようなことは、よほど進んだ考えをもっている人しかしなかった時代である。
幸之助とむめのの見合いも、松島の八千代座という芝居小屋の看板の前でするという段取りになった。約束の時間が来てもなかなか先方が現われない。と、突然、付き添いで来ていた姉の夫が叫んだ。
「来た、来た」
近くの人たちが小声でささやいているのが、幸之助の耳に入った。
「見合いや、見合いや」
幸之助はあがって、真っ赤になる。気がつくと、もう先方は看板の前に立っている。
「見よ、見よ。幸之助、見よ」
義兄の声に初めて我に返って見直したが、時すでに遅く、わずかに横顔が見えるだけである。しかも、うつむいているので、なおさら顔が見えない。そうこうするうちに先方は行ってしまった。
「あらええで、もろとき、もろとき」
この義兄の言葉に、幸之助はそのまま従った。