大阪電灯会社に勤めていたあるとき、幸之助は職工から事務員に抜擢された。“ろくに学校を出てもいないのに事務員に選ばれるとは”と、幸之助は非常にうれしく名誉に感じた。
机を一つあてがわれ仕事を始めたが、内容はきわめて簡単だった。検査員が調べてきて報告する、どこそこを直さなければならないという工事結果を、そのまま伝票に写すだけのことである。
ところが、幸之助は、尋常小学校を四年で中退、その後、文字に接する機会といえば、奉公時代に店番をしながら講談本を読んだことぐらいしかなかった。だから、字を書くにしてもなかなか整った字にならず、思うように事務が進まない。
数日後、幸之助は主任に呼ばれた。主任は伝票に目を落としながら言った。
「きみ、学校へ行ってないのか。もっと字をけいこせないかんよ」
かねがね自分でも気にしていた点を注意されて、幸之助は元の職場の主任のところへ行って頼んだ。
「すみませんが、私をもう一度、元のところに戻してください。字を書くのはむずかしいですわ」
主任は承諾してくれた。もし幸之助がもう少しうまく字が書けていたら、その後の人生はまた異なったものになっていたにちがいない。