松下村塾には、高杉晋作などのような、名門、上士の子弟もいるが、同時に伊藤博文とか山県有朋のような足軽の子もいる。封建時代にあっては、ふつうであればまず重く用いられることのない人びとである。それがのちに国家の柱石となり、位人臣をきわめるというほどにまでなったのは、もちろん本人がすぐれていたからにはちがいないが、やはり(吉田)松陰の人間教育によって、いわば魂の底からゆり動かされ、その秘められた素質がひき出されたからではないかと思う。
松陰は入獄の時、“かくすればかくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂”という歌を詠んでいる。そうした国の将来を憂うるひたむきな思いが、囚人であろうと軽輩であろうと、わけへだてなく、人間としての価値にめざめさせずにはおかなかったのであろう。指導者が人を育てるにあたって、知識よりも何よりも、まずそうした人間の尊厳を教えることが大切なのだと思う。
『指導者の条件』(1975)