世間とは鏡のごときものである、いいかえれば神のごときものであり、その裁断は神の裁断であると思うんであります。そうでありますから、もし自分が誤ったことをしなかったら、必ず世間はこれを認めてくれるにちがいない。実際は、自分がいくら誤りのない正しいことをやっても、世間に見る目がなかったらあきませんわ。しかし一人一人ピックアップすると、見る目がない、あてにならんという人もありますけれども、広い世間をおしなべて考えてみますと、世間は神のごとき裁断を常に下している。何が正しいかということに答えているんです。

 

 もし自分のすることに誤りがなければ、必ず世間はこれを受け入れてくれるにちがいない。“私”の心なくして、これは社会のためになり、事業としてやらんならんことである、と思って進めるものは、必ず認めてくださるのが世間であります。だから心配ない。世間は暴君ではない。世間は非常に賢明である。だからやってよろしいというように、自分に安心感ができるんであります。それで私はどんどん仕事をやってきたんです。

『松下幸之助発言集11』(1962)