昭和三十九年、熱海のニューフジヤホテルに全国の販売会社・代理店の社長を招いて懇談会が開かれたときのことです。前日、会場を下見した松下幸之助は、出席者が胸につけるリボンを目にしました。そして自分のリボンがひときわ大きいことに気づくと、「大事なお得意先より私のほうが大きいのは失礼ではないか」と担当者を叱り、取り換えるよう指示しています。
 幸之助は、誰に対しても、どんな場合でも礼儀礼節を重んじ、礼を欠くような態度を厳に戒めていました。

 

“礼儀は人間だけのもの”

 幸之助の二十歳余り年下で、生前、親交のあった元大学教授は、幸之助を“きわめて礼儀正しく、行き届いた人”だったとして、次のようなエピソードを披露しています。

 雑誌の企画で幸之助と対談することになっていたのですが、幸之助が体調を崩し、入院してしまったのです。当然、中止になると思っていたところ、「以前からのお約束なので、おいでください」との連絡が入ります。“無理されなくてもいいのに”と心配しつつ病院の応接室で待っていると、スーツを着てネクタイをしめた幸之助が現われたというのです。 「『ガウン姿で結構です』とお断りしていたにもかかわらず、失礼にならないようにというので着替えておられたのだ。これが病臥中の人だろうかと思うほど、きちんとした姿であった」と、元教授は述懐しています。
 幸之助は、「“親しき仲にも礼儀あり”というが、これはいつの世にも必要である。礼儀は人間だけのもの。つまり礼儀を知らないのは人間ではないということだ」と述べ、また、次代のリーダー育成をめざして設立した松下政経塾の塾生に対しては、「日常生活では特に礼儀に気をつけてほしい」と要望、「それにはまず、人に敬意をはらうこと。人を敬すれば、自分も敬されるようになる」と説いています。

 

礼を尽くす心は相手に伝わる

 昭和三十八年のある日、東京の出版社の社長が、京都の真々庵に幸之助を訪ねてきたことがありました。美しい庭を眺めながら会話が弾み、帰りの列車が迫った社長が辞したあと、幸之助は社員に「昼食はどうした」と尋ねました。「社長の秘書の方が『お話がすんでからで結構です』と言われたので待っておりましたが、お帰りを急がれたため差しあげられませんでした」と聞くや、こう言います。

 「それはたいへん失礼なことをした。すぐ京都駅へ行ってお詫びをしてきてほしい」

 社員が駅に駆けつけたとき、社長はホームの端でひとり考えごとをしているようでした。頭を下げて詫びると、「いやいや、いいお話を聞かせていただき、何よりのご馳走でした。これ以上お腹に入りません。松下様にくれぐれもよろしく」と微笑んだのでした。
 相手に礼を尽くしてもてなそうとする幸之助の心がおのずと相手に伝わり、心の通いあいが生まれたのでしょう。

(つづく)

◆『PHP』2016年2月号より

 

筆者

佐藤悌二郎(PHP研究所客員)

 


 

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