松下幸之助が死去した翌日、平成元年四月二十八日の新聞各紙はそのニュースを大きく報じましたが、ある新聞のコラムに、こんな一文が掲載されていました。
「大阪・門真の松下本社に初めて松下さんを訪ね、帰ろうとして車の中から振り向くと、玄関で松下さんが深々と頭を下げていた。ほんの駆け出し記者を相手に『前だれ商法』を絵にしたような姿が鮮烈――」
新人記者に“百万両の笑顔”
幸之助が相手によって分け隔てすることなく接し、礼を尽くすのを、多くの人が目の当たりにしています。
たとえば、幸之助が来客をエレベーターまで見送りに出たところにたまたま居合わせた社員によると、九十歳近い幸之助が、まだ三十代ぐらいの客に最敬礼のお辞儀で挨拶していたそうです。「先方は一瞬びっくりされたようだが、深々と頭を下げてお応えになり、エレベーターに乗られた。ごく自然に行なわれた一コマだったけれど、非常に感動した」と、その社員は述べています。
取引先を招いた宴席では、主人の代理で来た若い人にもきちんと正座して丁寧に頭を下げ、みずからお酒をついでまわりました。その姿は、側で見ている社員が“あそこまでしなくても……”と思うほどでした。
また、あるジャーナリストが、入社間もない記者を伴いインタビューに訪れた際のこと。大経営者と呼ばれる人物は概して駆け出し記者に素っ気なく、“新米を寄こすとは、自分も安く見られたものだ”とばかりに機嫌を損ねるのをよく目にしていたのですが、幸之助は違いました。ニコッと“百万両の笑顔”を見せ、「若いというのはいいことや。頑張りや」と新人記者の手を握ったといいます。
誰に対しても心から遇する
著名な経営学者は雑誌の企画で初めて幸之助と会ったときのことを、次のようにふり返っています。
当時、氏は三十代の大学助教授、幸之助は七十歳頃でした。ノックしてドアを開けた氏を、幸之助は歩み寄って出迎えました。それまで接したことのある財界人らは皆、ソファに座ったまま会釈する程度。それを「わざわざ立って迎えてくださった」というのです。名刺を差し出すと、「あなた、いい名前をもってますなあ」と言って氏の左肩をポンと叩き、取材が始まったのでした。
「その日はずっと左肩が温かかったのを覚えている。あのとき、松下さんのお人柄というものが強く印象づけられた」と、経営学者は述懐しています。
幸之助の長女・幸子さんは、こう言います。
「父はどんな相手でも態度が変わりませんでした。誰に対してもできるだけのおもてなしをする姿勢で、誠心誠意、心から応対していました。父がそんなふうでしたから、皆さんにもよく家に来ていただけたんじゃないかなと思います」
(つづく)
◆『PHP』2016年6月号より
筆者
佐藤悌二郎(PHP研究所客員)
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