京都の真々庵に客を迎えるため、社員が庭で打ち水をしていたところ、下見に来た松下幸之助に「踏み石に水たまりがある」と注意されました。確かに座敷から庭へ出る沓脱ぎの踏み石に、水が少したまっています。社員は慌てて竹箒で掃き流そうとするものの、うまくいきません。すると幸之助が「雑巾で吸い取ったらどうや」と一言。言われるままに踏み石を拭うと水たまりは消え、しかも石全体がしっとりと潤って輝いたのでした。
 これを見て幸之助は安心したように言いました。「草履履きの方がそこへ脱がれても、これで大丈夫やな」。
 お客様が草履で来られることや、水たまりを雑巾で拭うことなど思いもよらなかった社員は、お客様の立場で真摯に、柔軟に考えれば新たな気づきや知恵が生み出せることを、幸之助の姿から学んだのです。

 

礼法より大切なこと

 松下電器が創業五十周年を迎えた昭和四十三年、得意先二百五十余名を本社に招いて感謝会を催したときのこと。大切な記念行事に際し、担当者は細心の注意を払って準備を進めました。幸之助ら幹部が客を出迎える場所は礼法に則り、玄関の最も近くと定めます。
 さて当日、玄関前の石段を上がったすぐ左側が幸之助の位置でした。ところが幸之助は突然、その石段を降りたり上がったりし始めます。そして担当者にこう言いました。
 「お客様が石段を上がられる途中で、『松下君、おめでとう』と言って頭を下げられるかもしれない。そのとき石段につまずいて転ばれ、万が一にもお怪我でもされたら大変だ。わしは石段の下でお迎えする」
 実際、来客はみな幸之助にお辞儀をしながら足を運んでいたといい、担当者は「礼法通りやれば間違いないと思い込んでいたけれど、あのままお迎えしたらどうなっていたかと冷や汗をかいた」とふり返っています。

 

机をなくせば全員が入れる

 幸之助はお客様を遇するという本来の目的から発想していました。慣例や形式にとらわれては、その優先順位を誤りかねません。
 昭和三十九年、全国の販売会社・代理店の責任者に参集してもらい、熱海のホテルで懇談会を行なうことになりました。しかし担当者は、幸之助に指示された中の一部の人を招かなかったのです。会場の広さを考慮して、入りきらないと判断したからでした。
 前夜、それを知った幸之助は会場を見に行くや、「机を全部はずしてみろ」と命じました。担当者にすれば、会議ならお茶を出すために机を並べるのは当たり前だったのですが、机がなければ全員入れます。ではお茶をどうするか。すると、ロビーに飲み物とお菓子を置くというアイデアが湧いたのです。
 招待しなかった人に担当者が連絡を入れ、詫びるとともに、ぜひ来てほしいという幸之助の思いを伝えた結果、全員がそろって懇談会を開くことができたのでした。

(つづく)

◆『PHP』2016年7月号より

 

筆者

佐藤悌二郎(PHP研究所客員)

 


 

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