松下幸之助はお客様を迎えたとき、何より相手に心地よく和やかなひとときを過ごしてもらいたいと願っていました。そして、そうした雰囲気をつくりだすための濃やかな慮りを、実にさりげなく表したのです。

 

早食いの客への心づかい

 幸之助がある著名な日本画家とその夫人を招待したときのことです。幸之助と画家は、初対面でした。
 その画家は自分が非常に早食いであるため、礼を失するのではないかと懸念していて、夫人にも「お茶席はゆっくり食事をいただくのが礼儀作法ですから、くれぐれも用心なさいませ」と、きつく言われていました。そんなことを気にしつつ箸を手にしたとき、幸之助がにっこり微笑んで言ったのです。


 「私はねえ先生、もう食事が早くて、他人の倍以上の早さで食べてしまうんです。一所懸命料理をつくってくれる家内にすまないと思いながら、長年の習性というのは変えられないものですね。何しろ個人で仕事をしていたころは、何もかも自分でやらないといかんでしょう。やれお客や、それ火が落ちるということで、腰を浮かせて食事をせざるをえなかった。それが習い性になってしまったんでしょうな。でもね、時どき“太閤秀吉の食事も早かった”と、自己弁護してるんです。横着なもんですな」


 画家は「びっくりするやらうれしいやら、松下さんの言葉は私にすっかり安心を与えてくれた」と、のちに語っています。

 

「あなたが一緒でうれしくて……」

 九州の代理店の社長が、創業百周年の祝いを受けたお礼を幸之助に述べたいと、松下電器本社を訪れたことがありました。その対応にあたった社員の思い出です。
 当時、幸之助は八十二歳。社員とともに玄関先で到着を待ち、満面の笑みで出迎えると、みずから社長の手をとって応接室へと案内しました。歓談の席では、発刊したばかりの自著に、社長の目の前で「贈 ○○様」と記し、「松下幸之助」と署名して美装封筒に入れ、「どうぞお読みいただければ幸いです」と、丁寧に手渡したといいます。
 そしてゲストホールに場所を移し、会食となりました。ビールが出てきたとき、社長が「ビールはお飲みにならないと伺っておりましたが、お飲みになるのですか」と尋ねます。すると幸之助は、「あなたが来てくださって、うれしくてたまらないのでいただきます」と答えました。さらにステーキが置かれると、「ステーキはご無理と聞いておりましたのに、召し上がられるのですか」と社長。これに対して幸之助は、重ねて「あなたが一緒でうれしくていただきます」とごく自然に言い、料理を口にしたのでした。
 二人のやりとりを側で聞いていた社員は、「応接の心の真髄をつくづく教えられた。これぞ人を迎える姿勢なりと、終生忘れえない」とふり返っています。

(つづく)

◆『PHP』2016年8月号より

 

筆者

佐藤悌二郎(PHP研究所客員)
 



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松下幸之助の生き方