人は力をつければつけるほど、自分一人でものごとを達成しようとしがちである。だが、アートならともかく、「経営」を考えた時、それでは通用しない。優れた実績を残してきたデザイナーが、一つの壁に突き当たったことで「経営」に目覚めた。「自分を貫き通すデザイナー」から、「人の話に耳を傾ける経営者」へ――変化のきっかけとプロセスを、株式会社アトランスチャーチの川田雅直社長(「松下幸之助経営塾」卒業生)に取材した。

<実践! 幸之助哲学>
"シンデレラストーリー"を世の中にデザインするーー前編

心根は「デザイナー」

川田雅直さんは、若い頃から化粧品などのプロダクトデザインやグラフィックデザインを手がけてきた。三十二歳で、ストッキングやインナーウェアの大手ブランド「アツギ」のアートディレクターに就任、広告やパッケージのデザインと制作を全面的に担った。

二〇〇二年、三十六歳で独立し株式会社アトランスチャーチを設立する。みずからのオリジナルデザインを追求するためにつくったデザイン会社だ。それまでに培ってきたパッケージデザイン、グラフィックデザイン、プロダクトデザインだけでなく、店舗デザインや商品開発などにも事業領域を広げていく。

一方で、クライアントの予算ありきで進める商業デザインでは、最終的な決定権はクライアント側にあり、いくら「自分はこれがいい」と思っていても、相手がそれを選ばなければ成立しない。みずからがいいと思うものをそのまま形にするためには、自社ブランドの商品をつくる以外にない。そこで、テーブルウェア(食器類)やインテリア雑貨、ファッション小物などのジャンルでオリジナルブランドの開発・販売にも踏み出すのである。

川田さんは、株式会社アトランスチャーチの社長、つまり経営者である。だが、それは株式会社という形式を取っているからであり、当時の川田さんの心根はあくまでも「デザイナー」だった。みずからのデザインを表現したい、アイデアを形にしたいという思いがあるだけで、会社を経営することの社会的な意義などには特に関心を持ってこなかった。

ところがあることをきっかけに、川田さんは"経営者"としての意識に目覚め始めた。つまり、会社は単なる自己表現の場ではなく利益を上げて社会に貢献するものであり、人を活かし、人々の共感を呼び起こし、世の中によい影響を及ぼしていく社会的責任を負っている「公器」であることに気づいたのだった。
いったい何が、川田さんの意識をデザイナーから経営者へと変えさせたのだろうか。

病気の子供たちをサポートしたい

幼い頃から「美しいもの」に心を寄せてきた。絵本や童話にも親しんできた。
二十代になると、絵本の美しさに魅せられ、お気に入りの絵本や関連グッズを収集し始める。白雪姫やシンデレラが登場する「グリム童話」、マッチ売りの少女や親指姫の「アンデルセン童話」など、西洋の物語を中心に、まだ持っていない絵本やきれいなイラスト集・絵画集を見つけると、手当たり次第に買い求めた。

当時の川田さんは、駆け出しのデザイナーだ。日々新しい発想、斬新なデザインを追い求めていた。だから、自分には描けないものや、想像もできなかったものを探し続けたのだという。

これまでに収集したコレクションは二〇〇〇点以上。なかでも最も川田さんの心をつかんだのが「シンデレラ」だった。実は川田さんは、知る人ぞ知るシンデレラ・コレクターなのである。コレクションの半数近くは、シンデレラに関係する本やグッズだ。

元々、川田さんにはこれらのコレクションを公開するつもりは全くなかった。純粋に個人的なコレクションであり、また仕事上の資料である。他人に見せる必要はないし、むしろどちらかといえば人にはあまり見せたくない類のものだそうだ。

しかし川田さんは二〇一五年、これらのコレクションを一般に公開することを決意する。
遡ること十数年、縁あって、小児医療を専門とする国立病院を訪れた時だった。長期入院が必要とされる子供たちのために何かできないかと思った。病棟には絵本がまだ少なかった。そこで川田さんは絵本をプレゼントできたらと思い、定期的に絵本を寄付するボランティア活動を始めたのである。

そんなある時、この病院の医師から、次のような事実を知らされる。
「医療の進歩によってたくさんの子供の命を救えるようになったが、難病の子供の場合、実は治療後のケアを手厚くする必要がある。ところが、海外に比べると日本はまだまだアフターケアが十分ではない。それに、病気の子供にとっては親や家族の支えは何よりも大切だが、家族のフォローまでは全く手が回っていない。入院中の子供を支えようと思っても、病院には家族が泊まれる場所さえない。かといって、長期にわたってホテルに宿泊すれば費用がかさむ。しかたがないので、子供に会いに行く回数を減らさざるをえないご家族も多い。欧米の病院では、アフターケアが充実し、家族を支える施設もある。日本にも早急につくるべきだ」

知らなかった――川田さんはショックを受けた。幼い子供たちが、ただでさえハードな治療に明け暮れているのに、一番そばにいてほしいお母さんとさえ満足に会えない毎日を過ごしているとは――
なんとか子供たちの力になりたい。でも、自分一人の力では、どうにもならない。

デザイナーから経営者へ

やがて、一つのアイデアが思い浮かんだ。自分が持っているコレクションを公開することで多くの人が集まれば、その人たちに小児病院の現実を知ってもらったり、寄付を募ったりできるのではないか、というものである。

件のドクターの賛同も得て、実行に移すことにする。ところが、ひと口に展覧会といっても、開催にこぎつけるまでの道のりは多難だった。

最も苦労したのは資金集めである。自社には美術館を借り切って展覧会を開くだけの資金的余裕はない。そこで企業や団体から協賛金を募ることにした。だが、何社訪問しても、ことごとく断られてしまう。

「当然だな」と頭ではわかっていた。プロダクトデザインの世界では高い評価を受けていても、展覧会の開催については何の実績もない。希少なシンデレラのコレクションがあると訴えても、一般の人からすれば、それらがどれだけ価値のあるものなのか、展覧会を開いたところで本当に人々が関心を持って見に来てくれるのか、不透明だからだ。
頭ではわかっていても、心は傷ついた。デザイナーとしては、多くの企業が話を聞いてくれた。そんな自分が、いくら頭を下げて回っても展覧会一つ開催できないのだ。

そんな時、川田さんの苦境を知った知人の経営者が、協賛第一号として名乗りを上げてくれた。すると、その人の紹介でまた次の協賛者が決まる。昔お世話になった別の経営者のもとに足を運ぶと、その人の人脈からさらに別の協賛者が見つかっていった。最終的に四〇社の協賛が集まった。

川田さんはつくづく思った。「デザイナーとして優れているだけでは足りないんだ。人間としての厚み、経営者としての器の大きさがなければ、何か物事を為し遂げようとしても、何一つ動かない。自分では協賛を一社も見つけられなかった一方で、どんどん人を紹介してくれた経営者がいた。その力は、自分にはなかった」と。川田さんの意識が「デザイナーから経営者へ」と変わった瞬間である。

二〇一五年、会社の新しい事業として「プリンセス・ミュージアム」を立ち上げた。これは「プリンセス」をモチーフに、長年にわたって収集してきた川田さんのコレクションを歴史的、芸術的に価値の高い文化財として保存するとともに、多くの人に知ってもらうために展覧会やイベントを実施していくという活動である。アンティーク絵本の復刻出版やオリジナルグッズの販売も行なう。こうして得られた収益の一部は、病気と闘う子供たちとその家族のために寄付する。

この年、横浜で初めての展覧会を開催。タイミングよくディズニー映画『シンデレラ』の公開と重なったこともあって話題を呼び、多くの人を集める結果となった。その後毎年、都内各所のほか、長野県の諏訪や軽井沢、京都などで展覧会・イベントを実施した。

こうした過程で、川田さんはますます経営者としての勉強の必要性を痛感する。その結果、松下幸之助経営塾の扉をたたくことになるのだった。

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展覧会の様子。ドレスを着てガラスの靴を履くイベントはすぐに予約がいっぱいになる



◆熱意と衆知によって本物の経営者に変身(後編) へつづく

経営セミナー 松下幸之助経営塾

経営セミナー 松下幸之助経営塾
◆『衆知』2019.5-6より



◆『衆知』2019.7-8より

衆知19.7-8



DATA

株式会社アトランスチャーチ

[代表取締役社長]川田雅直
[本社]〒151-0064
    東京都渋谷区上原1-4-4
TEL  03-5738-5707
FAX 03-5738-5730
設 立...2002年
資本金...1,000万円
【事業内容】
商品開発コンサルティング /パッケージ・グラフィック・プロダクト等のデザイン業務全般/オリジナル商品の企画・製造・販売(テーブルウエア、インテリア雑貨、ファッション小物他)など
◎川田氏からのメッセージ
「未来ある子供たちのために、展覧会は長く続けていきたいと思っています。協賛いただける企業様がありましたら、ぜひご連絡ください」

ホームページ

株式会社アトランスチャーチ http://www.artrancechurch.com/
プリンセスミュージアム https://www.princess-museum.com/