町の銭湯や温浴施設で見かける「薬湯」。株式会社ヘルスビューティーは、一般家庭のお風呂だけではなく、公衆浴場向け入浴剤メーカーとして60年の歴史を持つ。順調に業績を伸ばしてきたが、数年前、会社を揺るがす危機に見舞われ、経営とは何かを改めて見つめ直すターニングポイントに立たされた。松下幸之助経営塾で学ぶことで、その試練をどう乗り越えたのか。会長の松田尚子さん、社長の松田宗大さん、副社長の松田和将さん(以上三名が「松下幸之助経営塾」卒塾生)にうかがった。

<実践! 幸之助哲学>
会社存続の危機を乗り越える3つの志ーー前編

日本で唯一、医薬品入浴剤を販売

愛知県名古屋市の幹線道路沿いにある、白いガラス張りの建物。よく見ると、窓際にお風呂のディスプレイがある。一見システムバスのショールームのようだが、陳列商品を見ると、ここが入浴剤メーカーであることがわかる。

「『千葉實母散浴剤』をご存じですか?日本で唯一の医薬品入浴剤なんです。それを販売するお墨付きの看板がこちらです」
と壁際を指すのは、会長の松田尚子さん。手の先には、歴史を感じさせる漆塗りの金看板が存在感を放っている。尚子さんは、社長の宗大さん、副社長の和将さんの母であり、三代目の社長を担った女性経営者だ。

ヘルスビューティーの前身であるヘルス商会が産声をあげたのは一九六〇年。公衆浴場の薬品卸として商いを始めて以降、業務用の入浴剤というニッチな市場を押さえ、全国に漢方系入浴剤を普及させてきた。生薬のセンキュウ末を配合した「温浴素じっこう」も、そんな入浴剤の一つ。発売から三十年以上経ってもなお、薬湯ファンから変わらず愛され続けているロングセラー商品だ。

同社の大きな転機となったのは、二〇一九年十月のグループ会社統合だ。製造と販売で分社化していた会社を一つにまとめ、社名をヘルスビューティーに統一した。この時、尚子さんからバトンを受け取り、四代目社長に就任したのが次男の宗大さんだ。長男の和将さんは、社長の参謀役である副社長に就任。体制を一新してのスタートとなった。

「『どうして次男が社長で、長男が副社長なの?』とよく聞かれるんですよ」と笑う宗大さん。同族経営の場合、長男がトップの座に就くことが多いため、周囲からは首を傾げられたという。しかし、兄の和将さんはこう話す。「弟が社長を務めることが、会社のこれからを考えるとベストだというのが私たち兄弟の一致した意見だったからです」。
その理由は後半で語ることにする。

三代目の尚子さんが社長になったのは約五年前。社長職に就く前は、会社の経理や人事といった裏方の業務を担っていた。当時の社長は、創業者から会社を引き継いだ尚子さんの夫。行動力と営業力があり、先頭に立って社員を引っ張るタイプの経営者だった。
「ところが、そんな夫に代わって私が社長を務めなければならない出来事が起こったのです」
尚子さんはそう振り返る。

二代目にガン発覚、二人代表体制に

「具合が悪い」。二〇一五年の初め、二代目社長が体の異変を訴えた。それまでたびたび胃の不調を口にしていたが、本人も家族もあまり重くは考えていなかった。しかし、病院で検査をしたところ深刻な事態が発覚した。腎臓ガン。医師からは、かなり深刻な病状だと知らされた。

宗大さんは語る。
「その頃私は、アスレティックトレーナーを目指してアメリカに留学していました。スポーツ選手を支える道に進みたかったのです。次男でもありましたし、当時はただひたすらに自分の夢に向かって突き進んでいました」
しかし、父の大病を知らされ、それどころではなくなった。

一方、兄の和将さんは、社会人となって東京の銀行に勤務していた。だが、父の病名を知らされ、銀行を退職して実家に戻り、家業を手伝う決意をした。

ガンであることがわかっても、二代目は病床で精力的に仕事をこなし、いつも病室が会議室になっていた。しかしながら治療も重要な局面を迎え、万が一にも社業に支障をきたしてはいけないと、顧問税理士に相談したところ、尚子さんが代表権を持ち、二人代表体制をとるようにアドバイスをもらった。
年始のあいさつまわりはすべてキャンセル。夫の看病と経営業務で多忙となった尚子さんに代わり、和将さんは、父から預かった手紙を持って取引先を回った。

時期を置かず、弟の宗大さんも留学を中止して帰郷し、母や兄とともに会社の運営に携わることになった。交代で病院に泊まって父に付き添った後、その足で出社をする毎日。ベッドのかたわらにいる和将さんと宗大さんに、父は「これからどう生きるか」を語りかけたという。あの頃が親子で最も会話した時期ではないでしょうかと、尚子さんは話す。

二月に手術し、懸命なリハビリを行なった後、二代目社長は、四月に一度だけ出社した。それは、息子たちの入社式の日。宗大さんは、「あれが、父と一緒に会社に出かけた最初で最後の日になった」と言う。
その年の八月、二代目社長が永眠。大黒柱を失った尚子さんは、悲しみに暮れる間もなく、会社の舵取りに追われることになる。「あの頃の私は、会社を運営するのに必死でした。経営とは何かを知らないまま社長職に就いたものですから」。

利益よりも大切なものをつかむために

二人の息子の力を借りながら、会社の代表として忙しい日々を送るうち、尚子さんは、会社の歩むべき道、ビジョンをひと目で確認できるものがほしいと思い始めた。長文で書かれたものではなく、短くシンプルで、それを見ると経営者として心が落ち着くもの。それにあたるのが「経営理念」だと考えた。ちょうどその頃、松下幸之助経営塾を知る。

「実は学生時代から、月刊誌『PHP』の愛読者でした。松下幸之助さんの残した名言も好きで、夫の会社で仕事をするようになってからは、それが掲載された日めくりカレンダーを取引先に配ろうと夫に進言したこともあるくらいです。幸之助さんの奥様である、むめのさんの生き方にも関心がありました。なんといっても、日本を引っ張ってきたリーダーを支えた女性ですから。そんなこともあって、経営塾での学びには最初から興味があったのです」

もう一つ、尚子さんは、受講することによってどうしてもつかみたいことがあった。それは、〝人を動かす経営とは何か〟だ。「長い間、夫のもとで事務方の業務をやってきたので、経営そのものについては何もわかっていませんでした。でも、売上拡大や利益の増大より、もっと大事なことがある、それを学ぶなら松下幸之助経営塾しかないと思っていました」。

幼い頃、尚子さんは裕福ではない家庭で育ちながらも幸せな毎日を送っていた。おもちゃを買ってもらえない代わりに、家の中にある道具を上手に使って遊んだり、食事の時に出た貝殻を取っておいて、工作の材料に使ったり。「お金がないなら、ないなりに工夫すればいい」と考える母の教えを受け、アイデアと知恵で楽しく過ごす術を身につけていた。そのためか元々お金に対する執着は強くなく、松下幸之助経営塾が経営上の数字を扱う研修ではなく、心のあり方を学ぶ研修であることにひかれたと言う。

経営塾では、普段は会えないような経営者と交流しながら、幸之助氏の価値観や考え方を学んでいった。その最中、尚子さんは、幸之助氏もまた、自分と同じ課題に直面していたことに気づいた。「小学校卒の学歴しかなかった幸之助さんは、高学歴の社員にどう接するかを悩んでおられたようです。私も全く同じでした」。
しかし、知識より心を大切にする幸之助氏の考え方に触れ、社員に対する考え方が変わった。また、経営理念は会社が苦しい時にこそ必要になるということにも気づかされた。

尚子さんは、突然の社長交代に社員が不安にならないよう、元々あった「創造と挑戦」という経営理念に「安心をカタチに」というキーワードを追加。心の落ち着きを取り戻して業務に取り組んでほしい、という願いを込めた。

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「社員に安心感を与えながら、自然や社会と共生する企業活動を行ないたい」と話す尚子会長


◆幸之助の教えをもとに新しい浴場ビジネスに挑む(後編)へつづく

経営セミナー 松下幸之助経営塾




◆『衆知』2020.5-6より

衆知20.5-6



DATA

株式会社ヘルスビューティー

[代表取締役社長]松田宗大
[本社]457-0012
    愛知県名古屋市南区菊住2-5-8
TEL 052-618-7558
FAX 052-821-0919
創業...1960年
事業内容
 医薬部外品、化粧品、業務用洗剤、 水質浄化剤の開発・製造・販売
主要ユーザー
 全国の温浴レジャー施設、ホテル、旅館、スポーツ施設、介護施設、 バラエティシ
 ョップ、ガソリンスタンド