町の銭湯や温浴施設で見かける「薬湯」。株式会社ヘルスビューティーは、一般家庭のお風呂だけではなく、公衆浴場向け入浴剤メーカーとして60年の歴史を持つ。順調に業績を伸ばしてきたが、数年前、会社を揺るがす危機に見舞われ、経営とは何かを改めて見つめ直すターニングポイントに立たされた。松下幸之助経営塾で学ぶことで、その試練をどう乗り越えたのか。会長の松田尚子さん、社長の松田宗大さん、副社長の松田和将さん(以上三名が「松下幸之助経営塾」卒塾生)にうかがった。

幸之助の教えをもとに新しい浴場ビジネスに挑む~株式会社ヘルスビューティー・松田尚子会長 松田宗大社長 松田和将副社長(前編)からのつづき

<実践! 幸之助哲学>
会社存続の危機を乗り越える3つの志ーー後編

理念が先か、スキルが先か

学ぶほどに自分の中に変化が起きるのを感じながら、尚子さんはこう思った。「この経験を、息子たちにもぜひしてほしい」。経営塾で一緒に学ぶ経営者の生の話を聞けるだけでも、若い息子たちの財産になると確信した尚子さんは、和将さんと宗大さんにも、経営塾の受講を提案した。

和将さんは、これをすんなり受け入れた。「松下幸之助さんの著書『道をひらく』を読んで心の栄養にしていたので、受講は幸之助さんの考え方を深く知るよい機会になると思いました」。受講期間の十カ月間、和将さんはテクニックではない経営の本質に触れ、人生を見つめ直す〝非日常の時間〟を過ごしたと話す。幸之助氏の思索の場でもあった京都・東山の「松下真々庵」を訪ねたことも、松下哲学を現地で体感できたような気がして、とても新鮮だった。

一方、宗大さんは、経営塾の受講には後ろ向きだったと打ち明ける。「その頃別の経営セミナーを受けていて、決算書の読み方や数字の分析法などを学んでいました。『経営者としてのベースの知識がなければ、経営理念はつくれない』と思っていたので、それらをきちんと身につけた上で、経営塾に参加したかったのです」

ところが母の尚子さんがすでに申し込みを完了しており、今さらキャンセルできなくなっていた。仕方なく経営塾に通うことになったが、回を重ねるごとに、宗大さんは自分の視野が広がっていくのを感じたという。
「受講生の多くは私より年上でしたが、議論を通じて、年配経営者と二十代の自分とでは物事のとらえ方が違うことがわかりました。一人だけ、私と同い年の同族会社の後継者の方がいて、彼が幸之助さんの言葉をどうとらえているかを聞けたことも、すごく勉強になりました」

会社を離れ、経営のことだけを集中して考えられたのも貴重な体験となった。現場の仕事をしながらマネジメントをこなす毎日の中では、その時間を確保できなかったからだ。「受講のおかげで、周囲から『松田さん、変わりましたね』と言っていただけるくらい、厚みのある二十代になれたと思います」。

社員の離職も〝社会への貢献〟

尚子さんは受講後、経営塾で作成した「私の人財育成七か条」を実践するため、「す・て・き・な・え・が・お(素敵な笑顔)」というスローガンを掲げた。それぞれの音を頭文字にした七か条だ。ところが当初、社員はそれを聞かされてもポカンとするばかりだった。

「いきなり社内でスローガンを発表したものだから、腑に落ちていない社員もいて、行動にしっかりと落とし込めていなかったんですよ。でも、経営塾での学びを通して理念の浸透には時間がかかることを知っていたので、社員の反応にも理解を示すことができました」と宗大さんは振り返る。自分は会長とは違い、どちらかと言えば利益重視だが、利益は社員の成長があってこそという点では一致していた。そんな共通認識ができたのも、三人が経営塾で学んだからだと笑顔を見せる。

尚子さんは、社員の離職に対する考え方まで大きく変わったと話す。せっかく育てた社員が辞めてしまうと、多くの経営者は「会社の損失」と考えるが、尚子さんは、むしろ「社会への還元」だと考えるようになった。そのきっかけとなったのが、「企業は社会の公器」という幸之助氏の言葉だ。
「事業活動で生み出したものを社会にお返しする。それが企業の役割なのだから、社員が他社へと転職するのは、むしろ社会還元であり、社会との共生だと思うようになったのです。それ以来、社員に離職すると言われても怒らなくなりましたし、『感謝の心を持って他社に移るなら』と受け入れられるようになりました」

しかし、社員が離職すれば、現場は困るのが現実。そこで、一人完結型の仕事を極力減らし、チームワークで仕事を補い合う働き方へと改革を試みる。同時に、三日連続休暇制度や、子育て社員の短時間勤務などのルールを設け、社員が安心して休める体制を整えた。

そんな会長とは対照的に、和将さんは、学べば学ぶほど葛藤にとらわれたという。「幸之助さんの言葉がとても純粋な分、現場とのあまりの違いに大きなギャップを感じていたのです」。特に痛感したのが、幸之助氏の著書『素直な心になるために』(PHP研究所刊)のページをめくった時だ。書いてあることはどれも素晴らしいが、現実はそんなにうまくいかない。折しも、同時に入社した社員が、時期を同じくして相次いで離職した。心の中で「学んだことを現場に活かせていないじゃないか」と反省した。

だが、意気消沈しながらも、和将さんはある気づきを得ていた。「経営塾で学んだことを社員にそのまま伝えても、うまく伝わらないということがわかりました。幸之助さんの教えを学ぶことを『宗教にはまっている』ととらえる人もいます。そういう社員に対して『なぜわからないんだ』と言っても効果はありません。それよりも、彼らの感じ方を否定せず、『それもそうだよな』といったん受け入れることが重要だと思いました。そしてそれこそが『素直な心』に通じることだということにも気づきました」。

三者三様の「わが志」

経営塾では、学びの総仕上げとして、一人ひとりの受講生が経営の志を立てる。尚子さん、宗大さん、和将さんも志を立てたが、三者三様であるところが興味深い。

会長の尚子さんは「〝本物〟を創る」。先代の理念に追加した「安心をカタチに」を実践することで社員に安心感を与えながら、自然や社会と共生する企業活動を行ないたいと考えている。
「お風呂文化にかかわるものとして、二〇一八年から、『日本列島しあわせピンクバスプロジェクト』を企画・発足し、発信してきました。乳がん早期発見を促す十月のピンクリボン月間を中心に、全国の公衆浴場のお湯をピンクに染めようというピンクリボン運動ですが、お風呂を通じて業種の垣根を越えてつながることができれば、新たなやりがいが生まれます」

社長の宗大さんは「人と社会を豊かにするOFUROをとどける」。業務用というニッチな分野に着目した先代の戦略に感謝しながら、生き残るための新たな戦略を練り上げていく。
「創業からずっと、当社はB to B(法人向け)ビジネスを手がけてきました。しかし、主要なマーケットである日本の公衆浴場は、これ以上の成長が見込めないピークアウトの状態にあります。これからは、国内マーケットだけでなく、海外の温浴施設に向けた展開が重要。長らく業務用の入浴剤をつくってきた当社なら、海外ニーズに対しても強みを発揮した製造・販売ができると思います」

副社長の和将さんは「時代の変化に応じた健全な破壊と自然の理にかなった創造」という志を立てた。新たな事業展開によってこれからの三十年をつくり、百年企業を目指す決意だ。
「幸之助さんが少年時代に携わった商いは自転車。そこから電気へと方向性を変え、パナソニックという大企業を築き上げています。私たちも、公衆浴場というマーケットに軸足を置きながら、別の軸足をつくっておく必要があると思っています。その一つが情報産業。単に入浴剤をつくり続けるだけでは、商品数×単価というビジネスモデルから抜け出せませんが、そこに文化の発信や情報の発信を加えることで、掛け算を何倍にもできると考えています」

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「国内マーケットだけでなく、海外の温浴施設に向けた展開が重要」と話す宗大社長

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「単なる入浴剤の製造販売にとどまらず、文化や情報の発信もしていきたい」と話す和将副社長

学びを活かして事業承継

志は少しずつ違えど、ヘルスビューティーはこれからも「創造と挑戦」を基本理念に置き、新しいステージへと向かう。

ところで、冒頭でも触れた、弟が社長で兄が副社長というポストについて、三人はどう考えているのか。二〇一九年十月、宗大さんが四代目社長に就任した時のことを思い出して、尚子さんはこう語る。「夫は、製造と販売で会社を分け、息子たちにはそれぞれの社長になってもらおうと考えていました。そうすれば、仲違いしなくてすみますから」。
しかし、兄弟が出した答えは、弟が会社のトップ、兄が参謀。この話を聞いた時、尚子さんは「本当にそれでいいのか」と念を押したという。「でも、二人が決めたことに反対する気は全くありませんでした。私自身は最初から、息子たちに会社を承継するつなぎ役だと思っていましたし、やりたいほうが社長をやるのが一番ですから」。

経営塾に通っていた時、尚子さんは、塾長で幸之助氏の孫にあたるPHP研究所の松下正幸会長に、「幸之助さんは後継者を選ぶ時、何を基準にされていたのですか」と質問したことがある。正幸塾長からはこんな答えが返ってきた。
「熱意」
長男も次男も、ともに熱意はあるが、社長業に対してより強い熱意を燃やせるほうがやればいい。そう思った。

兄の和将さんはこう考えた。「当社は今後、変化の時期に入っていきます。そんな時に必要なのは、社長の強烈なトップダウン。大企業なら組織力でそれを成し遂げていくのでしょうが、社員五〇人強、拠点数三カ所の中小企業である当社には、組織力よりトップのパワーが不可欠なのではないかと思ったのです」。

戦略家である和将さんに対し、弟の宗大さんは実践家。兄が「静」なら、弟は「動」というタイプの違いから、和将さんは「社長業は弟のほうが向いている」と判断した。

宗大さんも同じ考えで、みずから社長になる決断をした。「兄は昔から企画やビジネスモデルを考えるのが得意で、学生時代にはビジネスプランコンテストに参加していた。兄は後継者というより、創業者タイプなんです。新しいものをつくり出すなら断然兄ですが、今あるものを引き継ぐなら自分だ、と思い覚悟を決めました」。

温浴業界が縮小する中、会社の舵取りはますます難しくなる。だが、理念経営の根幹を学び、その実現に果敢にチャレンジする同社に悲壮感はない。むしろ、マイナスをプラスに転じるエネルギーに満ちあふれてさえいる。

(おわり)

経営セミナー 松下幸之助経営塾




◆『衆知』2020.5-6より

衆知20.5-6



DATA

株式会社ヘルスビューティー

[代表取締役社長]松田宗大
[本社]457-0012
    愛知県名古屋市南区菊住2-5-8
TEL 052-618-7558
FAX 052-821-0919
創業...1960年
事業内容
 医薬部外品、化粧品、業務用洗剤、 水質浄化剤の開発・製造・販売
主要ユーザー
 全国の温浴レジャー施設、ホテル、旅館、スポーツ施設、介護施設、 バラエティシ
 ョップ、ガソリンスタンド