広島に、ホスピタリティ日本一を目指すクリニックがある。「いでした内科・神経内科クリニック」だ。患者を「ご利用者」「お客さま」と呼び、同じ目線で病に立ち向かう医療を行なってきた。効率的な医療環境づくりのため取り組んだトヨタ生産方式で、13年前には「第1回ハイ・サービス日本300選」を受賞。しかし当時は、クリニック経営者としての迷いが尽きなかったと、井手下久登院長(「松下幸之助経営塾」卒塾生)は振り返る。その後の松下幸之助経営塾での学びで、どんな変化が起きたのか。

経営理念の理解と実践を深め「日本一」の医療・介護へ~いでした内科 神経内科クリニック・井手下久登理事長 院長(前編)からのつづき

<実践! 幸之助哲学>
医師・経営者として目指すお客さまと職員の幸せーー後編

経営塾での学びを現場に活かす

井手下院長は、経営塾での学びによってたくさんの気づきを得て、それを現場での実践へとつなげていった。

例えば当時、クリニックの幹部や現場のスタッフは、何かあるたびに井手下院長のところに「どうしましょうか」と〝おうかがい〟を立てに来ていたという。それに対し、すぐに答えを言い、指示を出していた。ところが経営塾で幸之助の人材育成を学んだことによって、それでは彼らに考える時間を与えないことに気づいた。思考力や判断力をつけてもらうには、まず自分が彼らの話に耳を傾けよう、それこそが「衆知を集めた経営」ではないか、そう思った。
「できるだけ、途中で口を挟まず、最後までスタッフの話を聞くようにしたのです。すると彼らが以前よりも活発に意見を述べてくれるようになりました」

また、問題を自分から率先して片づけてしまうことが、スタッフを信頼していない態度と受け取られかねないことにも気づいたという。その時から、できるだけスタッフに任せることを意識するようにした。

新型コロナウイルスが広がって以降、地域のクリニックには感染の不安を訴えるたくさんの市民が押し寄せるようになった。ところが、基幹病院でも大病院でもない町のクリニックには、医療用マスクも防護服も行き届かない状況。そんな中、ご利用者にどう対応するのか。井手下院長は、自分一人で判断するのではなくスタッフの意見を聞こうと、話し合いの場を設けた。
すると、「建物の外に発熱外来をつくってはどうか」「部屋のレイアウトをこのようにしたらどうか」など、彼らが考えたアイデアが次々に飛び出し、すぐに実行に移した。
「提案事項をレポートにして提出してもらうのを減らして、時間をつくって集まってもらい、その場で意見交換することで、より実践可能な意見がたくさん出てきたのです」
それまで一人で何もかもを決めてきた井手下院長は、多くの意見を聞き、あらかじめ自分の中で固めてきた考えと照らし合わせて判断することの重要性を、この時実感した。

衆知を集めた経営は、事業開発にも活かされている。いでした内科・神経内科クリニックは現在、二十四時間三百六十五日対応の医療・障がい・介護事業サービスを行なっている。医療が必要な障がい者のためのショートステイとデイサービスで、障がい者の方をお預かりし、介護する人を楽にするというものだ。
「介護はエンドレス。二十四時間休まず介護していては、介護者が倒れてしまう。だから私たちが一時的にご利用者をお預かりし、介護者を介護から解放する時間をご提供しています」
このサービスを始めたきっかけは、利用者の家族から相談を受けたことだったという。人として、また経営者として、他の医療施設ができないこと、やっていないことを率先してやることが大切だという井手下院長は、困っている介護家族の方々から話を聞き、このサービスを手がけようと決めた。「これも、衆知を集めることの一つの形だと思います」。

もう一つ、経営塾で大きな気づきを得た。
「自分自身が勉強してきたことを、スタッフにきちんと伝えてこなかったのではないかと思い至りました。報告は行なっていましたが、それだけではスタッフらは〝腹落ち〟しない。そこに気づけたのは大きな成果でした」

判断のものさしとしての経営理念

経営理念については、目指すべき方向性を明確にすることに注力した。経営塾の受講期間中に、理念の文言修正のほか、経営理念体系(ピラミッドモデル)を再構築、創業の精神を頂点とし、ビジョンや使命、教育・人事理念、さらには戦略まで一気通貫したものにつくり変えた。

《経営理念》
ご利用者・職員・地域の方が、健康で幸福になるために、最善の医療・福祉・介護サービスを提供します

しかし、見直した理念・理念体系ですら、まだ完成形ではなく、幸之助哲学をもっと深く理解した上でさらに練り直していかなければいけないと、井手下院長は言う。
「〝素直な心の初段〟に上がるには三十年かかると幸之助さんは言っています。こうかな、それともこう解釈すればいいのかなと、日々試行錯誤です。経営塾を卒塾して二年経ち、もう一度勉強し直そうと思っています」

井手下院長は、以前から有志を募って毎朝、清掃と早朝勉強会を主宰している。みずから朝の四時半までに出勤してクリニック周辺の清掃、さらに、人間教育の時間として、以前は中国古典の『大学』などを、最近は松下幸之助の『人間を考える』を学ぶ活動だ。リーダーとして、人としてのものの見方や考え方、心のあり方などを学び、理解を深めるためだが、これは、ご利用者や職員、地域の方などが幸せになるために、という経営理念の実践活動の意味もある。
「ご利用者をホッとさせ、幸せな気持ちにして差しあげられる笑顔や言葉は、心から自然と出てくるものです。心を成長させることが職員の物心の幸せにもつながります」

また、理念を浸透させることも院長の大切な仕事だ。現在、二〇人ほどの幹部とともに、月一回一時間、松下幸之助の『人間を考える』を学びながら、あわせて経営理念について考える会を開催している。井手下院長が設問を出し、各グループに分かれた幹部たちが話し合うことで、経営理念への理解を深めてもらい、正しい判断ができるようになることが狙いだ。
「経営理念に沿った、正しい対応ができれば、大きく誤ることはありません。その場しのぎの対症療法ではなく、正しい道筋の中で考え判断できます」

また、「経営理念にもとづいて行なったこと」「問題点を解決したこと」についてそれぞれ、毎日一部署一入力してもらい、内容のいいものには報奨金を出して部署の食事会などの懇親に充ててもらう取り組みも、理念を理解し、それにもとづいた仕事をしてもらうための工夫だ。

井手下院長は経営理念を、職員たちが物事を判断する時のものさしとして使ってほしいと考えている。そのものさしを使いやすくするために、経営塾で学んだ宇宙根源の力などをベースに、経営理念をまだまだ練り直していくという。

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まだ人通りも少ない早朝にクリニック周辺の清掃をする井手下院長(手前)とスタッフたち(奥)

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課ごとに行なわれる朝礼の様子。理念の唱和のほか、松下幸之助著『人間を考える』の輪読を行なう課もある

事業の種を育て「日本一」を目指す

経営が軌道に乗っていることにあぐらをかいて、同じようなことを続けていてはいけない、現状維持とは好調ではなく後退だ――井手下院長はそう強調する。変化と成長を続けていくためにも、今後は「四つの日本一」を目指していきたいと意気込む。それらは、①日本一立派な経営者、②職員を物心両面で日本一幸せに、③医療・障がい・介護の質が日本一、④ホスピタリティとサービスが日本一、の四つだ。いずれも「日本一」の客観的な基準があるわけではないが、みずからの志として井手下院長は常に意識している。
その中で狙うのは、他が取り組んでいない分野、いでしたクリニックだからできる得意分野でのサービス展開だ。具体的には、万病のもととなる肥満解消のためのダイエット治療と、アレルギー疾患などを持つ利用者への漢方治療だ。独自の漢方せんじ薬をつくっている。介護サービスでは、自宅生活の質を向上する介護を検討中とのこと。各人で目標をつくってもらい、自宅で行なったホームワーク(宿題)をデイケアやデイサービスに訪れた際に担当者がチェックをする、というアイデアだ。
「介護施設に来た時だけ、何かをしても意味がありません。重要なのは、介護施設に来ていない『自宅での時間』をどう過ごすか。そこに焦点を当てたサービスです」

そして、これから力を入れようと考えているのが、広島県内ではここだけという「高次脳機能デイケア」の確立だ。高次脳機能障害のある人を預かるサービスだが、全国的にも数は少ない。しかし、そこにこそ新事業の種があると、井手下院長は見通す。
「事業の種を見つけ、さらにその種を育てる。これによって〝日本一〟を目指したいのです」

七十歳を過ぎた今、事業承継を意識し始めている。そして、次の三つの条件を満たす人に、後を継いでもらいたいと考えている。
「一つは熱意。ここでいう熱意とは、真剣にご利用者のことを考え、お世話したり思いやったりできる心です。二つ目は、スタッフを必ず物心両面で幸せにするという心。三つ目は、経営者として事業を黒字にできる経営力です」

経営者として、医師として、様々な出来事に本気で向き合ってきた井手下院長。「ご利用者と向き合うというのは医師として当然の行為ですが、これからは、医療という『事業』とも真剣に向き合っているかどうかが問われる時代です」と言う。トップが楽をしようと思ってはいけない。トップが命をかけるという覚悟を決めて取り組めば、スタッフはおのずとついてきてくれる。それがモットーであり、井手下院長の哲学だ。

松下幸之助経営塾を受講する前に井手下院長が感じていた〝迷い〟は、必ずしも解消していないようだ。みずからの未熟さを、余計に感じることすらあるともいう。
だが、幸之助も実際迷いながら決断していったと著書に書いている。そして、自分中心で物事を考えた時に迷いが生まれることに気づいたとも述べている。井手下院長は、ご利用者のため、職員のためという思いで経営をしており、その方針を貫いていけば、おのずと〝迷い〟は減っていくのではないか。幸之助哲学を胸に、理念実現のための努力を続ける井手下院長から目が離せない。

(おわり)

経営セミナー 松下幸之助経営塾




◆『衆知』2020.7-8より

衆知20.7-8



DATA

医療法人社団
いでした内科・神経内科クリニック

[理事長・院長]井手下久登
[所在地]〒739-1734
     広島市安佐北区口田三丁目31-11
TEL 082-845-0211
E-mail information@ideshita-clinic.jp
職員数 約170人
設立 1992年
事業内容 医療・障がい・介護サービス
診療科目 内科/神経内科
福祉・介護事業
 通所介護(デイサービス)事業/精神科デイケア/高次脳機能デイケア/ヘルパー
 ステーション/サービス付き高齢者向け住宅