関西化研工業は、山口県周南市に本社を置く自動車用ケミカル製品の製造販売会社である。社長の澤野成美さん(「松下幸之助経営塾」卒塾生)は三代目、創業者夫妻の甥にあたる。2019年5月1日、平成から令和への移行と時を同じくして、社長に就任した澤野さんは、その前年から松下幸之助経営塾を受講していた。塾での学びや、その後の経営における実践について話を聞いた。
<実践! 幸之助哲学>
創業者夫妻の背中から学んだ"現場の汗"の大切さーー前編
経営者の「芯」を形成するために
「こういう塾があるんだけれど、澤野さん、受けてみる?」
二〇一八年のある日、当時社長だった重永つゆ子さん(現会長、創業者夫人)は、一枚のパンフレットを当時常務の澤野成美さんに手渡しながら言った。
見ると「松下幸之助経営塾」とある。間髪を入れず、澤野さんは言った。
「ぜひ行かせてください」
日頃から、いろいろな方面からのお誘いや頼まれごとが多い。いちいち応じていたらきりがないので断ることも多いのだが、この時は二つ返事で受け入れた。
若い頃から、月刊誌の『PHP』には親しんでいた。出張の際、駅の売店でよく購入し、移動中の車内でページをめくった。人に対する思いやりや、仕事に向き合う真摯な姿勢など、社会人としての基本的な心構えを知るには格好の教科書だ――と感じていたそうである。
若き日の澤野さんの心の支えとなった『PHP』。その会社で開かれる、経営者のための塾である。「近いうちに自分が代表を継承しなければならない」という自覚もあった。そうなれば、何か打ち出すべき方針を持たなければならない。経営者としての「芯」を形づくる必要がある、と考えていた。
松下幸之助経営塾は、参加企業の「理念」を深掘りし、参加する経営者に「志」を問いかけ、それらをさらに磨き上げてもらうという趣旨の塾である。ちょうどその時の澤野さんの問題意識と、ぴったりと合っていたのだった。
一つひとつの学びを自分のものにする
二〇一八年九月二十一日、PHP研究所京都本部で開講した松下幸之助経営塾の会場に、澤野さんの姿があった。
参加者は経営者またはその後継者に限定されるが、様々な業種から幅広い年齢層の経営者が参集する。
澤野さんが驚いたのは、参加者の熱量だった。
「同期の皆さんのお話をうかがい、会社のこと、社員のことをここまで考えられるのかと敬服しました。『自分はどうなのか?』と自問自答した時、これは生半可な気持ちでは受講できないと思いました。皆さんと私ではレベルが違う。同じレベルで受講するためには、私は皆さん以上に本気で入り込まないと......」
と、初日からギアが変わったという。
松下幸之助経営塾は、一泊二日の研修を全六回、約十カ月にわたって受講するプログラムである。一日目が終了すると、受講者だけで夜の街に繰り出し、お酒を酌み交わしながらの〝自主勉強会〟が開催されることも少なくない(新型コロナウイルス感染拡大前)。昼間のオフィシャルな場での学びだけでなく、こうした非公式な場でのホンネの語り合いから大きな気づきがあったり、今後の示唆を得たりすることもある。
だが、この時の澤野さんは、そういう気分にはなれなかった。昼間の講義や講話は、全身を耳にして聴いている。ディスカッションには、その時の自分の持っている最大の力で参加した。その日に触れたコンテンツは、澤野さんの頭の中であちこちに散らばったまま漂っているだけだ。これらが冷え固まってしまう前に、きちんと整理しておきたい。そんな思いがあったのだ。
仲間たちと懇親を深めたい気持ちを抑え、澤野さんは独りホテルの部屋に戻り、寝るまでの時間をその日一日の復習に充てた。
講師の話や参加者の発言で、心に響いたことはすべてノートに書き留めている。それらを一つひとつ読み直し、「このエピソードを、皆さんはどう自分に取り入れているのだろうか」と推し量ってみたり、「すごい、この人はこんなふうに受け止めるんだ。では自分はどうなのか」とさらに自身を掘り下げてみたりするなど、学びを自分の中にしみ込ませていった。
理念を戦略・戦術に落とし込む
十カ月にわたる学びの中で、実際の経営に大きな影響を受けたことの一つが、経営理念のとらえ方である。
講師の一人から言われた「理念は必ず戦略に落とし込むものだ」という言葉が、印象深く胸に刻み込まれている。
澤野さんの会社にも経営理念はあった。当時の社長がISO9001を取得する際に策定したものである。代表を継ぐにあたって、澤野さんはそれを自分の中で咀嚼し、自分自身の言葉で表現し直すことが必要だと考えていた。
経営塾の受講の最終回に、現在の経営理念の原型となるものを「わが志」として発表した。ただ、講師から言われた「戦略に落とし込む」という点について、受講後もさらに検討を続けた。
「理念とは、雛壇の上に飾っておくものではない。みんなで毎朝唱和すればいいだけのものでもない。理念は常に日常の業務の中に活用しなければならない。日々の業務の中のすべてに理念が落とし込まれていなければならない」――澤野さんは、講師の言葉を反芻し続けた。
澤野さんの会社では、「経営計画実行書」を作成し、期首に全社員に配付する。以前は「品質目標」という表現で実質的な理念が示されていたものを、澤野さんは、明確に「理念」と、それを細分化した「品質目標」に分けた。これによって、経営理念から始まり、品質目標、各部門の目標・計画、さらに個人の目標・計画へと、具体的な戦術(手段、方法)までわかるようにしたのだ。
そうして練り上げた理念を、二〇二〇年の年頭に社内で発表した。澤野さんが三代目の社長に就任して八カ月後のことだった。
経営計画実行書に記された「理念」と「品質目標」
社会人としての生みの親・育ての親
ここで、澤野さんの経歴を見ておきたい。澤野さんが関西化研工業に入社したのは、一九八三年のことだった。高校の卒業を間近に控えても、なかなか就職先が決まらずにいた。半ばあきらめかけていた時、伯父の重永精亮さん(関西化研工業創業者)から「うちで働かないか」と声がかかったのだ。
澤野さんは創業者夫妻について、次のように語る。
「私には、私を生んで育ててくれた両親がいます。しかし、こと『社会人としての私』に関しては、生みの親は創業者、育ての親は現会長だと思っています」
入社して一年は、工場に勤務した。その後営業部門に異動し、全国を走り回る日々を送る。
関西化研工業は、自動車の燃料やエンジンオイルの性能を高める添加剤を中心に、関連するカー用品などを製造・販売している。主な納品先は、ガソリンスタンドや整備工場、およびその代理店である。
澤野さんは、若いなりに考えて仕事をしていた。営業の使命は売上を上げることだ。だから、もっぱら数字を上げることに邁進した。本人としては、それで会社に貢献しているつもりだった。
ところが、そんな澤野さんを創業者は厳しく叱った。「要領だけで仕事をするな」と。
「おまえは口八丁手八丁で売上を上げている。そんなものは単なるその場しのぎであって、仕事でも何でもない。仕事というものは、お客様とちゃんと向き合い、一つひとつ商品の意義や特長をていねいに説明し、納得して買っていただくものだ。一件一件で誠意を尽くし、汗をかきながらコツコツと積み上げていく。そうした中身のある仕事をしなければ、何も残らないのだ」
そんなことを創業者は伝えたかったようだ。
実際、澤野さんも「数字をつくること」にとらわれるあまり、商品の浸透・定着や、お客様の繁栄といった長期的視点を欠いていたことを次第に感じるようになる。
このままではダメだ、成長しなければ......と思い始めた矢先、関西化研工業に緊急事態が発生した。創業者が病に倒れたのである。
その頃、重要取引先との折衝は、すべて社長である創業者が行なっていた。当時専務だった妻のつゆ子さんは、その代役を澤野さんに託すことを決断した。
まだ二十代後半で、地方回りをメインにしていた若者が、いきなり都心の大企業に出向くことになった。
「けんもほろろの扱いでした」
と澤野さんは当時を振り返る。どこに行っても、創業者と比較される。説明を求められてもうまく話せなかったり、判断を求められてもその場で決められなかったりすると、先方からまともに取り合ってもらえなくなった。澤野さんにとって、苦々しい思いを味わう日々が続いた。
「職責が果たせないのに、自分がやる意味があるのだろうか」――そんな疑問も湧き上がってくる。そうした中、ある時は厳しく、ある時は優しく支えてくれたのが、二代目の社長を継承したつゆ子さんだったという。
澤野さんはいつしか、「やるんだったら、力を出し切ろう」と思えるようになった。加えて、澤野さんがいつも目に浮かべていたのは、仲間の社員たちの顔である。「自分が仕事をまとめることで、仲間のみんなが少しでも助かるはずだ」――そう考えると、苦労も次第にやりがいに変わっていった。
◆社長就任に合わせ理念策定、戦略に落とし込む(後編)へつづく
◆『衆知』2020.9-10より
DATA
関西化研工業株式会社
[代表取締役社長]澤野成美
[本社]〒745-0802
山口県周南市栗屋1035-5
TEL 0834-25-0100
FAX 0834-25-3560
創業...1966年
事業内容
自動車用ケミカル製品の製造・販売(自社ブランド名:KANASAKEN)、健康食品・生活用品販売
主要ユーザー
全国のガソリンスタンド、カーディーラー、自動車整備工場、カー用品店 など