父の急逝によって、24歳で会社を継ぐことになった株式会社高栄ホームの北井博さん(「松下幸之助経営塾」卒塾生)。その後36年を経て、小規模だったビル清掃のメンテナンス業を、総合不動産業へと発展させた。現在、滋賀県大津市で住宅供給棟数ナンバーワンの実績を誇る分譲住宅事業を主力に、積極的に事業展開を図っている。「信用第一に、一つひとつの仕事を着実にやってきたからこそ今がある」と語る北井さんに、一貫して持ち続けている使命感と現在の取り組み、そして地域一流一番店を目指すというビジョンをうかがった。

 

<実践! 幸之助哲学>
衆知を集めて使命達成に挑む――前編

24歳で会社を引き継ぐ

株式会社高栄ホームは、滋賀県大津市を中心に宅地開発、分譲住宅、注文住宅、不動産仲介、リフォーム、不動産賃貸業を営む総合不動産企業である。主力事業は分譲住宅。「バードタウン」と名のつく分譲住宅地は、二〇一六年度までに総区画数一四〇〇以上。ここ数年は、大津市内で住宅供給棟数ナンバーワンの実績を上げている。

 

代表取締役は北井博さん。高栄ホームは一九九一年に北井さんが設立した会社だが、始まりは北井さんの父秀信さんが一九八〇年に創業した株式会社高栄産業まで遡る。〝高く栄える〟という思いを社名に込め、働く仲間同士がいつも仲よく協力し合いながら仕事をする会社をつくる、という志を抱いて創業した。しかし、設立の翌年、秀信さんは無念にも脳梗塞で他界する。五十二歳だった。

 

息子の北井さんは、ハウスメーカー勤務を経て、父秀信さんの会社で働いていた。しかし、父の仕事ぶりをそばで見ることができたのは、たったの三年。ゆくゆくは後を継ごうと思っていたが、まさかこんなに早く役目が回ってくるとは思わなかったという。当時、北井さんは二十四歳。「まだまだ教えてほしいことがたくさんあったのに。本当に自分でいいのだろうか」。経営を引き継ぐことへの重責に不安を覚えたが、まわりの後押しもあって決意を固めた。

 

不動産業を本業にすると決意

北井さんが経営を引き継いだ時、高栄産業はビル清掃のメンテナンス業が主力の会社だった。正社員は三名、パート社員が約二〇名。「メンテナンス業が中心だと地域も限定されるし、今後大きく業績を伸ばすことは難しいのではないか」。そう感じた北井さんは、もっと幅広く事業を展開するために不動産業を本業にしようと考える。その第一歩として宅地建物取引主任者(現在の名称は宅地建物取引士)の資格に挑戦し合格、一九八七年に宅建業の免許を取得する。

 

不動産業を始めてしばらくは土地の売買だけを行なっていたが、ある日、先代の知り合いの工務店の親方が建売住宅の案件を持ち込んできた。高栄産業の土地売買のノウハウと工務店の建築技術を合わせて建売住宅をやってみないかという話だ。
正直なところ、当時、北井さんは建物にあまり興味がなかった。「土地は扱ったことがありますが、上物(建物)は経験がありません。それに建築資金もありませんよ」と乗り気でない返事をすると、親方は、「建築費はいったんこちらで持つ。売れた時に払ってくれればいいから」と言う。「ただし、売れなかった時は、もちろん半々で」。

 

北井さんの頭には、「売れなかったらどうしよう」という思いもよぎったが、「新しい挑戦にリスクはつきもの。そもそも不動産業をやるために宅建業の免許を取ったんじゃないか」と思い直し、申し出を受けることにした。初めての建売住宅。結果は、北井さんの不安をよそに、あっという間に売れてしまった。

 

その後、高栄産業は建売住宅の販売によって順調に業績を伸ばしていく。声をかけてもらったからやってみようかという程度で始めた事業が、やがて高栄産業の主力事業になった。そこで北井さんは建売部門を分社化し、一九九一年に株式会社高栄ホームを設立した。

 

宅地開発で事業規模を拡大

その直後、まるで新会社の設立を待っていたかのように新たな案件が舞い込む。宅地開発だ。田んぼを買い、開発行為の許可を取り、地盤調査、造成工事を経て宅地化する。そこに住宅を建てて販売するのだ。規模は九区画。一軒のみの建売住宅と違い、かかるコストや労力も九倍なら、失敗した時のリスクも九倍である。

 

しかし、北井さんは迷わずこのタイミングをつかむ。「宅建業の免許を取って間もなく建売住宅の話がきて、高栄ホーム設立と同時に宅地開発の話がきた。こういうのを〝縁〟というのかもしれない」。会社にとって初めての大掛かりなプロジェクトだったが、社員の士気は上がり、開発は順調に進む。スタッフ全員が力を合わせて完売させた。

 

第二弾はいきなり大型の開発で三〇区画。それ以降も数十区画を中心に、八〇区画にもなる大型物件も開発した。
ある時、社員が北井さんのところに住宅地図を持ってきた。そこには「バードタウン○○(物件名)」と名前が載っていた。それを見て北井さんは、「自分たちは地図に残る仕事をしている」という思いがこみ上げてきたという。バードタウンという名の街づくりは、大津市を中心に草津市、栗東市、守山市に広がっている。

 

一つひとつのプロジェクトを着実に

物件数が増え、社員数も増加するにつれて、北井さんは事業に様々な仕組みを取り入れていく。例えば施工の発注方式。ある時期から工務店への一括発注をやめ、施工業者を分ける分離発注へと変えた。「コストダウンを図るためです。社員数や棟数が増え、一括発注では採算が取れなくなってきたので」と理由を語る。

 

その一方で、ライバル会社との競争力を高めるために、建物のクオリティアップに力を入れた。その一例が、三年ほど前に出したブランド「ママコレの家」。ママコレとは〝ママ・コレクション〟の略で、家事や子育てで毎日家をフル活用している主婦(ママ)が暮らしやすい住宅をつくろうという同社のブランド戦略だ。「これがあれば便利」「こんな家があったらいいのに」というママたちの率直な意見を取り入れるために、同社から家を購入した女性のお客様たちに集まってもらい、定期的に「ママ座談会」を実施している。

 

その成果が、雨の日に室内で洗濯物を干すための電動式物干しユニット、玄関内にベビーカーを収納できる土間収納、生活スタイルの変化に合わせて増減可能な収納スペース、子育ての楽しみと親子のコミュニケーションを促進するタタミコーナーやウッドデッキ――などにつながっている。

 

また、「イエ・コレ」という住宅展示場をつくり、ライフスタイルを提案できる四種類四棟のモデルハウスを建てた。一九九七年には中古住宅の売買仲介を目的の一つに、不動産流通(仲介)業にも乗り出している。二〇〇八年に立ち上げた注文住宅の自社ブランド「光の楽家」も好評だ。

 

高栄ホームを設立して約二十六年。その間には苦労もあったのではないかと想像される。ただ北井さんは、「苦労という苦労はあまり感じたことはないですが、まあ、あえて言うなら資金面ですかね」と話す。宅地開発事業は扱う額が大きいため、銀行からの借り入れが生じる。信用がなければ融資は受けられない。

 

「信用を得るために心がけてきたのは、やはり事業を着実に遂行していくことですね。当たり前のことですが、取り掛かったら最後までやり遂げる。一つ失敗したら会社がふっとんでしまいますから、一つひとつのプロジェクトを大事にしてきました」と振り返る。
事業をやっていくうちに、当初はなかった気持ちも芽生えた。「いい団地をつくればお客様に喜んでもらえる。自分たちは街づくりに貢献しているんだな」、そんな誇らしい思いである。

 

◆「信義」を重んじた創業精神のバトン(後編) へつづく ※4月5日更新予定

 

経営セミナー 松下幸之助経営塾

 

◆『衆知』2017.9-10より

衆知17.9-10

 

DATA

株式会社高栄ホーム

[代表取締役]北井 博
[本社]〒520-0835
 滋賀県大津市別保二丁目8番35号
TEL 077-534-1755
FAX 077-534-1900
設  立…1991年5月
資 本 金…2,000万円
事業内容…宅地開発/分譲住宅/注文住宅/不動産仲介/リフォーム/不動産賃貸/飲食

 

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