優れた企業には、その事業をなぜ始めたのかという「創業の精神」がある。それを企業理念の軸に据えて様々な判断の拠りどころとすることで、その企業にしかない独自の存在価値を生み出すことができる。
ところが、代を重ねるに従って創業精神が見失われるケースも少なくない。また、大手の代理店やフランチャイズとして事業を行なう会社の場合、どうやって独自性を打ち出すのか。今回取材したNEZASグループ・栃木トヨタ自動車(社長の新井将能さんは「松下幸之助経営塾」卒塾生)は、そのヒントを与えてくれるだろう。

 

<実践! 幸之助哲学>
地元に"根ざす"組織改革――前編

栃木の老舗企業の長男に生まれて

NEZAS(ネザス)グループ(以下、NEZAS)は、栃木トヨタ自動車、福島トヨタ自動車をはじめ、栃木・福島両県で新車・中古車の販売、レンタカー事業など、自動車販売およびその周辺事業を展開する企業グループである。

現在、その代表を務める新井将能(まさよし)さんは、明治期から今の栃木県那須烏山市(旧烏山町)で雑貨や石油製品などを取り扱う会社新庄(あらしょう)を営む新井家の長男として生まれた。社名は創業者である新井庄吉氏の名前に由来し、新庄を継ぐ新井家の長男は、必ず名前の一字目に音読みで「しょう」と読める漢字がつけられている。新庄は早くから現在の昭和シェル石油の特約店となり、戦後は高度経済成長やモータリゼーションの波に乗って、県北を中心にシェアを広げてきた。

 

二代目新井庄吉社長の時、トヨタ自動車の販売店の設立と経営を引き受ける。栃木トヨタ自動車である。一九四六年、トヨタは全国に販売網を確立するために、各地の有力な地元資本を活用してトヨタ車の専門ディーラーを設立した。栃木県で白羽の矢が立ったのが新井家だったのである。以来、新井家が栃木トヨタ自動車の経営を引き継いできた。

 

新井家五代目(新庄創業以降)にあたる新井将能さんは、長男として当然、父親の後を継ぐことを期待されていたが、若い頃の新井さん自身は、新庄はともかく栃木トヨタについては“継ぐ”という意識は全く持っていなかったという。大学で経営学を学び、マーケティングを専攻して大学院に進む。その後は中日新聞に就職し、広告局で働いていた。
ところが入社して五年が経った頃、当時のトヨタ自動車社長、張富士夫氏と会う機会があり、思いがけない言葉をかけられるのである。それは、新井さんの父親である新井祥夫(よしお)先代社長への敬意と感謝の言葉だった。

 

「世界的な大企業のトップから認められている父とは、どんな仕事をする人間なのだろう......と、それまでは無口な印象しかなかった父の仕事ぶりに初めて関心を持つようになりました。同時に、強く反発していた“後継ぎ”を意識するようにもなったのです」

と新井さんは述懐する。

 

そんな折、「会社で困った事態が起きている」と父親から相談があり、新井さんは地元栃木に戻ることを決意する。新聞社を退社して栃木トヨタに入社すると、まずは子会社であるトヨタレンタリース栃木に出向することになった。

 

自社のアイデンティティを追求

新聞社時代は一兵卒としての社員だった。ところが、栃木トヨタに入ると「オーナーの息子」である。周囲の人の自分への接し方が全く違うことに違和感を覚えた。そういう点でも、また仕事の進め方においても、新井さんは社内に抜本的な意識改革が必要であることを感じる。
加えて、トヨタレンタリース栃木という会社は当時、不祥事を起こした直後だった。だから改革を急がなければという焦りがあった。現場のことをよく知らないまま組織を改編し、人事を断行した。新井さんは語る。

 

「当時は、人事や組織変更は簡単にできるものだと誤解していました。加えて、この会社は不祥事を起こした会社なのだから、やっていることは間違っている、自分の考えのほうが正しい、という驕りや、自分は報酬を削って朝早くから晩遅くまで働いているんだ、という過剰な自意識もあったように思います」

 

これに反発した多くの社員が会社を去っていった。が、当時の新井さんには、自分の強引さに目を向けるだけの余裕はなかった。経営者と社員をつなぐ「何か」が必要だったが、まだそれがつかめていなかったのだろう。

 

その頃、経営学者でローランド・ベルガー日本法人の会長も務める遠藤功氏の講演を聴く機会があった。そこで紹介されたヤマト運輸の事例にとても感銘を受けると、ヤマト関係の書籍やホームページを読みあさり、何か仕事で関係をつくれないかと考えるようになった。やがて、同社が企業向けに実施している安全運転講習を依頼するという形でつながりを持つ。ヤマト運輸との交流を通して、新井さんは「自分に足りないものは、自社の存在理由を明確にしていないこと、それを社員と共有していないことではないか」と考えるようになる。自社の存在理由とは、すなわち企業理念である。

 

企業理念は、単に美しく高邁な言葉が並んでいればいいのではない。その言葉が、どういう背景で、どんな考え方から導き出されているのか、その思いの部分の理解があってはじめて、血のかよったものになる。
例えば、トヨタの企業理念の核となっているのは、トヨタグループの創始者、豊田佐吉の遺訓をまとめた「豊田綱領」である。ヤマト運輸の企業理念の原点には、一九三一年に制定された「ヤマトは我なり」に始まる「社訓」がある。つまり、長い歴史を持つ優れた企業には、「なぜ」その事業を行なうのか、「何のために」その企業があるのか、という企業の「存在理由」を示す思想が明文化されている、ということなのである。

 

翻ってわが社はどうか――新井さんはトヨタレンタリース栃木という会社を振り返ってみた。
「確かに数字としての実績は上げてきたかもしれない。でも、どこか芯が通っていないのです。親会社は栃木トヨタ自動車という地元の有力企業。トヨタというブランドが冠にありますから、それに頼っていれば自社としてのアイデンティティを追求する必要はなかったのでしょうね」

 

この頃から新井さんの関心は、大学で学んだマーケティングなどの理論や手法から、哲学や働く人の感情に移り、問題意識も、「いかにしてお客様を増やすか」といった目の前の経営課題から、「トヨタレンタリース栃木とはいかなる会社か」という、より本質的、根源的な課題へとシフトしていく。

 

ただ、独自の存在理由を追求するとはいっても、トヨタの名を冠している以上、やはりトヨタの企業理念と切り離すことはできない。そこで「豊田綱領」に始まるトヨタの基本理念を踏まえつつ、それをレンタカー事業に置き換えるとどうなるか、という視点で企業理念の作成に着手したのだった。

 

二〇一一年、新井さんはトヨタレンタリース栃木の社長に就任する。ちょうどその頃、自社の企業理念と行動指針も完成し、これをベースに様々な社内改革を推進していく土壌が整った。

ところが翌一二年三月、父親の祥夫氏が逝去。新井さんは、新庄および栃木トヨタ自動車とその子会社の社長を一気に引き受けることになる。トヨタレンタリース栃木の経営に手応えをつかみ始めた矢先、その数倍規模の組織を率いていかなければならなくなったのだ。さらに、あとで触れるが、当時福島トヨタ自動車は資本関係としては栃木トヨタの子会社となっていた。新井さんは難しい舵取りを迫られるのである。

 

企業理念のルーツを求めて

トヨタレンタリース栃木で企業の存在理由を求めたように、新井さんは、今度は「新井家の原点である新庄とは何か」を追求し始める。
しかし、その道は容易ではなかった。先代は亡くなり、その四年前には祖父である先々代も亡くなっていた。この事業をなぜ始めたのか、どんな思いでこの会社を経営してきたのかという創業の精神や経営哲学を直接聞くことは、もうできない。新聞や雑誌の取材記事、社内資料に残された短いコメントなどはあるが、いずれも断片的なもので、トータルとしての考え方がどうだったのかにまでは辿り着けない。
そんな時、下野新聞に掲載されていた先代社長のインタビュー記事を目にした。そこには、「大学時代に松下幸之助の講演を聴いて、その中で語られた『素直な心』に大変感銘を受けた」という内容が書かれていた。

 

新井さんは、「もしかしたら、父が大切にしていた経営理念は松下幸之助に依拠していたのかもしれない」という思いを抱き、父の経営理念のルーツを松下に辿ることに決めた。これが松下幸之助経営塾に参加するきっかけとなる。経営塾では、様々な課題を通して自社の経営理念を深掘りしていく。新井さんは、これを機に自社の経営理念を明確にしたいと考えていた。

 

ただ、過去の経営者はすべて他界している。講師から「先代や先々代と一緒に仕事をされてきた人に訊いてみては?」というアドバイスも受けたが、そんな人物は思い当たらない。新庄の存在意義を昭和シェル石油の理念に求めようともしてみたが、新庄はシェルの特約店をスタートさせる前から存在している。創業は明治期で、当時の思想を正確に把握する作業は困難を極めた。

 

ここに至って新井さんは、「もはや過去にさかのぼって企業理念のルーツを確かめることは不可能に近い。いったんリセットして、新たに形づくるしかない」と思い定めるのである。
そこで組織をゼロベースで再編し、それと同時に企業理念も固めることにした。新井さんが事業承継後の経営で頭を悩ませていたのは、新庄発祥の地である烏山に本拠を置く「烏山貨物自動車」「新庄」の二社をどうするかだった。結果として、新庄で行なっていた燃料事業(ガソリンスタンドなど)と烏山貨物の運送事業を一つにし、「NEZASサービス」として新たなスタートを切ることにした。「NEZAS」とは、その発音通り(地域に)「根ざす」を意味している。新井さんは、この「NEZAS=根ざす」に強い思いを抱いて、グループ全体を再編することにしたのだった。

 

時期をほぼ同じくして、栃木トヨタの子会社に位置づけられていた福島トヨタに関しては、両社の株式を新たに設立した持株会社に吸い上げることで並列の関係に戻した。福島トヨタは元々トヨタ自動車が株式を所有していたが、諸事情で栃木トヨタが引き受けることになっていた。しかし、一県一社が原則のトヨタ店にあって、栃木トヨタと福島トヨタだけがタテの関係になっていることに新井さんは疑問を抱き、解消できる手立てを考え続けてきたのだという。

 

「持株会社のNEZASホールディングスを設立したことで、栃木と福島がそれぞれ独立した経営体として事業を進める体制ができました。福島トヨタは、今やトヨタの子会社でもなければ栃木トヨタの子会社でもない、自立した会社として歩めることになったのです」
あるべき姿を追求し続けてきた結果、辿り着いた結論だった。

 

「素直な心」で真のリーダー企業に(後編) へつづく

 

経営セミナー 松下幸之助経営塾

 

◆『衆知』2017.3-4より

衆知17.3-4

 

DATA

栃木トヨタ自動車株式会社

[代表取締役社長]新井将能
[本社]〒321-0105
 栃木県宇都宮市横田新町3番47号
TEL 028-653-1210
FAX 028-653-7554
設  立...1946年
資 本 金...1億円
事業内容...新車販売、中古車の販売・買取、自動車の点検・整備・鈑金・塗装、カスタマイズ、用品・部品の販売

 

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