東和エンジニアリングは、学校・企業・官公庁などのコミュニケーション環境づくりをシステム面からサポートしてきた会社だ。近年は、A I(人工知能)の進化、I CT(情報通信技術)の向上などにより、社会のあらゆるシーンで機械化、自動化が進んでいる。しかし、そんな時代だからこそ、"人が主人公であってほしい"と新倉恵里子社長は言う。会社経営で直面した課題、そこから得た気づき、そしてこれからの新しい展望について語っていただいた。

<実践! 幸之助哲学>
知恵を融合し新しい価値を生み出すエンジニアリング会社ーー前編

サミットで使用される会議システムを運用

二〇一九年六月二十八、二十九日に先進国と主要な新興国の首脳が一堂に会すG20サミットが、大阪で開催された。日本がG20の議長国を務めるのは、これが初めてだ。日本が主催するサミットとしては史上最大規模となった。

首脳会合に参加したのは、メンバー国および招待国や国際機関など三七の国や機関の代表者たちだ。これだけの人数が参加する会議を、同時通訳を介しながらスムーズに運営するためには、議場に設置される「会議システム」が欠かせない。優れた音質・オーディオ性能はもちろん、ネットワーク接続による資料の閲覧などの機能性、外部に情報が漏れないセキュリティの高さなど、高度なレベルが求められる。
その会議システムを提供しているのが、今回取材した東和エンジニアリングである。

一九九七年に開催された地球温暖化防止会議(COP3)を皮切りに、二〇〇〇年の九州・沖縄サミット、二〇〇八年の北海道洞爺湖サミット、二〇一六年の伊勢志摩サミットと、近年の日本開催の代表的な国際会議では、いずれも東和エンジニアリングが会議システムの運用サポートを担当している。
こうした世界の行く末を決めるような重要な会議の運用を担うためには、単にハードとしての機器を納入・設置すればいいだけではない。事前準備はもちろんのこと、当日の調整や、首脳個々人の要望にも迅速に対応しなければならない。

社長の新倉恵里子さんは、自社の事業を次のように位置づけている。
「当社はシステムを構築・運用するシステムインテグレーターかもしれませんが、専門的にシステムを運用しているだけではなく、お客様に合わせた最適なコミュニケーション環境を創造する企業です」

サービスを提供する先は、サミットなどの国際会議を主催する官公庁・公共施設をはじめ、企業や教育現場など多岐にわたる。株主総会や各種会議、研修、授業、ミーティングなど、人が集い、有機的かつ効率的なコミュニケーションが求められる場であれば、どこでも使われる可能性があるだろう。

社会の様々なシーンでコミュニケーションを支えてきた東和エンジニアリングが、どのような歩みを経て今日の姿に至ったのか、まずはその歴史から簡単に見てみることにしよう。

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世界からも高く評価されている会議システム。G20大阪サミットでも使用された

「電気商会」から「エンジニアリング」へ

東和エンジニアリングの創業は、戦後間もない一九五二年である。創業者は、新倉現社長の父である大竹親幸氏だ。当時の社名は「東和電気商会」といった。
大竹氏は一九三〇年生まれ。十歳の時に両親を亡くし、その後、生きていくために海軍の特別少年兵となる。第二次大戦中は駆逐艦「冬月」に通信兵として乗艦した。

終戦後、帰還したのち、母方の親戚からお金を借りて小さな電気店を始めたのが東和電気商会である。戦時中に身につけた通信の技術を活かしたかったが、そうもいかず、当初は電池や電球といった小物や、せいぜいラジオやアイロンなどの小型電気製品を、間口わずか一間(約一・八メートル)という小さな店に並べて売るだけだった。
それでも松下電器産業(現パナソニック)の特約店になり、東京オリンピック(一九六四年)前にはカラーテレビの特約店セールスコンクールで全国三位という快挙を為し遂げ、松下幸之助が激励に訪れている。

家電販売に力を入れる一方、大竹氏に電気や通信のスキルがあることが地域社会に知られてくると、企業や行政から会議、講演、イベントなどの音響設備や館内放送の設置・調整を依頼されるようになる。目指していた通信関連の仕事の割合が徐々に増えていった。

そんな時、大竹氏に一つの転機が訪れる。一九六七年に松下電器が主催したアメリカ視察旅行に参加したことだ。大竹氏は行く先々で、社名に「エンジニアリング」という言葉のつく会社を目にし、「エンジニアリングとは、何だ?」と疑問を持った。

エンジニアリングとは、直訳すれば「工学」「工業技術」だが、単にもの(ハード)や技術(テクノロジー)を提供するのではなく、それらを組み合わせることで用途開発をしたり、新しい価値を生み出したりすることである。大竹氏は、これこそ自分がやりたかったことだと直感し、その年に社名を「東和エンジニアリング」に改称した。

「名は体を表す」とはよくいったものだ。家電販売店だった東和電気商会が、「東和エンジニアリング」と名前を変えたことで、システム運用とそれに付随するサービスを販売する会社にシフトしたのである。

翌一九六八年、日本フィリップスと販売代理店契約を結び、分散拡声方式の会議マイクユニットの取り扱いを始めた。これはマイクとスピーカーが一体になったもので、参加者同士が双方向にやり取りでき、発言の機会が平等に与えられる画期的なシステムだった(マイクの数が限られていると、発言が一方的になったり、発言できる人数が限られたりする)。東京都荒川区の議会に納入したのが日本で最初のことだそうだ。以降、このシステムの納入は全国各地の自治体や中央省庁へと拡大していく。

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昭和31年ナショナルテレビセールスコンクールで全国3位に入る(前列中央、松下幸之助の後ろが大竹氏)

エンジニアリングの可能性を探り続ける

東和エンジニアリングが手がけたのは、音響・通信分野だけではない。

昭和四十~五十年代、ホテルや旅館の客室内の冷蔵庫を開けると、丸い穴の開いたパネルに飲み物が据え付けられてあり、取り出すと自動的にカウントされる仕組みがあったのをご存じだろうか。
これは東和エンジニアリングが開発した、客室の冷蔵庫と会計機をLANで結ぶシステムで、サービス向上を図りながら「メードさん」(客室係)の仕事の一部を自動化することから、「オートメードシステム」と名づけられた。客室冷蔵庫の集中管理が可能で、経費節減にもつながるため、全国のホテルで導入が相次いだという。

また、教育分野への参入拡大のきっかけになった「LL装置」もある。LLとは language laboratoryのことで、英語などの音声教材をイヤホンで聞き取りながら学習し、発音や会話の上達を図るというものである。

教育現場では、時代の変化、社会の変化に合わせて、様々な新しい手法が取り入れられてきた歴史がある。「読み・書き」だけの教育から、音声や映像を取り入れた「視聴覚教育」へ。一方的な知識・情報の伝達から、意見交換や質疑応答をメインにした「双方向教育」へ。東和エンジニアリングは、最先端のAV技術、通信技術を駆使して、これら教育現場のニーズに応える商品を生み出してきた。

その後、時代が平成に入ると、情報化・国際化が一気に加速する。現在では、ICTを活用した様々な学修ソリューションを提供。例えば、電子黒板で画像や資料を共有したり、テレビ会議システムで遠隔地とも密度の濃いコミュニケーションをしたりするのを可能にしている。これらのソリューションは、現代の学修スタイルの主流になりつつある「アクティブ・ラーニング(課題解決型の能動的学修)」に有効に機能するため、私立大学を中心に多くの学校で採用されている。


社員一人ひとりの天命を活かす(後編) へつづく

経営セミナー 松下幸之助経営塾




◆『衆知』2019.11-12より

衆知19.11-12



DATA

株式会社 東和エンジニアリング

[代表取締役社長]新倉恵里子
[本社]〒101-8631
    東京都千代田区東神田1-7-8
TEL 03-5833-8300(代表)
FAX 03-5833-8301(代表)
設立...1952年
資本金...6億3,384万6,000円
事業内容...I Tを中核とした音響、映像、情報通信、コンピュータに関する総合システムのコンサルティング、企画、設計、販売、製造、施工、監理、保守・常駐運用サポート、各システムのレンタル