東和エンジニアリングは、学校・企業・官公庁などのコミュニケーション環境づくりをシステム面からサポートしてきた会社だ。近年は、A I(人工知能)の進化、I CT(情報通信技術)の向上などにより、社会のあらゆるシーンで機械化、自動化が進んでいる。しかし、そんな時代だからこそ、"人が主人公であってほしい"と新倉恵里子社長(「松下幸之助経営塾」卒塾生)は言う。会社経営で直面した課題、そこから得た気づき、そしてこれからの新しい展望について語っていただいた。

社員一人ひとりの天命を活かす~東和エンジニアリング・新倉恵里子社長(前編)からのつづき

<実践! 幸之助哲学>
知恵を融合し新しい価値を生み出すエンジニアリング会社ーー後編

専業主婦から経営の道へ

新倉恵里子さんが生まれたのは、一九六一年。まだ社名が東和電気商会だった頃で、当時は東京都江東区亀戸の商店街に店を構えていた。

「両親はものすごく忙しくしていて、幼い頃一緒にご飯を食べたという記憶はほとんどありません。たぶん、従業員の方とか、ご近所や親戚の方々が、入れ代わり立ち代わりお世話してくださったのだと思います」(新倉さん)

子供の頃から様々な人たちの中で揉まれて生活してきたので、あまり人に対して猜疑心を持ったり、人見知りしたりするということがなかった。学校生活でもそれは活かされ、部活動にも積極的に取り組んだ。

短大を卒業後、松下電器に入社。営業業務を担当し、管理の厳しさを徹底的に教えられた。
六年ぐらい経った頃に結婚し、妊娠を機に松下電器を退社する。出産してから、しばらくは子育てに専念する日々が続いた。
子育てが一段落した頃、夫が経営する会社の経理を二年ほど手伝い、その後父親の会社に入社することになった。夫の会社では経理部長として手腕を発揮し、資金繰りの改善に大きく貢献したというから、父親がその管理能力に目をつけて、自社に引っ張ったのかもしれない。

ただ、当の新倉さんには、父親の会社を継ぐという気持ちは全くなかったという。松下電器で原理原則を身につけ、夫の会社ではハードな現実にも対処してきた。そのスキルをもって、バブル崩壊後の東和エンジニアリングの課題であった経営体質の強化に取り組んでゆく。

事業や組織を再編し、赤字部門が黒字化するなど目に見えて成果が表れ始めた頃、新倉さんは自分の立ち位置を理解するようになり、逃れられない現実を受け入れた。創業五十周年を迎えた二年後の二〇〇四年、社長に就任する。

二度の社長就任で学んだこと

社長を六年間務めた後、実は新倉さんはいったん社長を退いている。二〇一〇年からの六年間、当時の副社長に社長を譲り、新倉さんは副社長に就いた。自身の体調面などいくつかの理由があるが、一度経営トップという立場を離れ、少し現場に近いところで事業を見直したかったことも理由の一つだったという。
そして改めて、二〇一六年に社長に就任した。この一期目と二期目とでは、同じ社長という立場にあっても、新倉さんの中ではずいぶんと変化があったようだ。

「一期目は、父から引き継いだ以上、従来とは違う新しい体制を構築しなければならないと躍起になっていました。理念の浸透を図り、ブランドの再構築を掲げたのはよかったと思いますが、当時の私は、その方針を丁寧に説明する言葉も心の余裕も、持ち合わせていませんでした。
予算の達成にこだわり、業務の効率化を徹底する......そうやって収益を上げるのは、経営者として当然の姿です。ただ、重箱の隅をつつくようにしてまで問題を掘り下げたり、管理経営に行き過ぎの面があったりしたために、社員との距離ができてしまったことは反省点です」
と新倉さんは振り返る。その意味では、一度社長の座を降りて、少し落ち着いた角度から事業にかかわり直したことは、自身を客観的に見つめるよい機会になったのかもしれない。

「トップとは一歩距離を置いた立場だと、現場に足を運びやすくなり、現場の実状・実態をよりリアルに感じることができました。私が自分の思いだけで先走った結果、現場が疲弊していたことを目のあたりにしたんです」(新倉さん)

一期目の就任の際、新倉さんは「TOWAROW」(トゥワロー)というブランドコンセプトを打ち出した。社内の暗い雰囲気を一新するために、これをやるという理念を押し出したかったからだ。社名の「東和」にかけた「towa」、会社の個性である顧客へのまっすぐな思いを示す「arrow」(矢)、明日への道筋を指し示す「tomorrow」、この三つのイメージを組み合わせた造語だ。

会社のあり方、顧客との向き合い方を新しい言葉で示したまではよかったが、ブランドも経営理念も冊子に印刷して配付するだけでは浸透しない。自分自身は理念の浸透と言いながらも、本当の理念経営ではなくて管理経営をしていたと大きな反省をした。中身も大事だが、それを伝える「人間」も大切なのだと、この時、新倉さんは気がついたのだ。

二度目の社長に就任した時、その気づきが活かされる。「人間として、経営者としての器を広げるにはどうすればいいか」――そのための一つとして受講したのが、松下幸之助経営塾だった。

天命に目覚める

多くの学びの中で、新倉さんの心を最もとらえたものがある。それは、松下幸之助の著書『人間を考える』(PHP研究所刊)の中の次の一節だった。

「人びとの知恵が、自由に、何のさまたげも受けずして高められつつ融合されていくとき、その時々の総和の知恵は衆知となって天命を生かすのである。まさに衆知こそ、自然の理法をひろく共同生活の上に具現せしめ、人間の天命を発揮させる最大の力である」
この言葉が、不思議なくらい自然に新倉さんの肚に落ちた。

経営は葛藤の連続である。新倉さんの場合、父親に対する葛藤もあった。「なぜ、自分が会社を継がなくてはならないのか」「なぜ、父が残した課題を私が解決しなければならないのか」――。
役員や社員に対する割り切れない思いもある。「なぜ、あの人は私の真意を理解しようとしないのか」「なぜ、あの社員は頑なに自分の考えを曲げず、私の方針に逆らうのか」――。

そういうことも一切合切を含めて、「自分が経営することは天命なのだ」と思えたという。
「厳しい状況もあった。病気もした。それでも今、こうして健康で会社経営をさせてもらっている。これは天地自然の流れ、自分に与えられた使命なんだ」と。

そのような見方で、経営塾に参加する他のメンバーたちを眺めてみると、みな苦しみながらも懸命に経営と向き合っている。それぞれが天命を生きている、と思えた。

経営塾は、二日間の研修が全六回、隔月で開催され、十カ月をかけて行なわれる。 「一回目、二回目では、そこまで深い話は出てきません。でも、回を重ねるたびに、自分の置かれている状況や抱えている悩みを打ち明けるようになります。夜の懇親会でも、普通の飲み会では絶対に出てこない話になります。
天命の話など、会社ではもちろん、家族や友人ともしたことがありません。こういう話題を共有できる仲間たちに恵まれたことが、松下幸之助さんからの最高のプレゼントだと思っています」(新倉さん)

経営塾での学びは、新倉さんの人の見方にも変化を与えたようだ。参加する経営者にみな天命があるように、自社の社員にもそれぞれの天命があり、それぞれの天命を生きていると思えるようになったのだ。

自分一人で頑張らなくても、人々の知恵が妨げられずに融合するようにすればいい。衆知を集め、社員それぞれが天命に生きられるようにすることが、自分の役割であるように思えた。
その姿勢を象徴的に示す例が、最近行なわれた本社移転・リニューアルである。

社員がみずから考え、動く会社に

二〇一九年五月、東和エンジニアリングは台東区秋葉原から、現在の千代田区東神田に本社を移転した。
移転が決まったのは前年の九月。八カ月で移転を完了した。社長の新倉さんは意思決定をしただけで、実際の構想や実施については移転プロジェクトのメンバーにすべてを任せた。
プロジェクトでは、移転のコンセプトを「Borderless(境界なく)×Connected(つながり)×Creative(創造する)with Fun(楽しみながら)」とした。一階から四階の新しいオフィスには、このコンセプトがふんだんに活かされている。

一階のコンセプトは「出会う・集まる」。ショールームとして、最新の製品を展示したり、東和エンジニアリングの歴史の一部を振り返ったりすることに加え、特徴的なのは技術検証を行なうテクノセンターを置き、しかもガラス張りにすることで、製品の品質チェックやメンテナンスの様子を実際に目で見て確認できるようにしていることだ。顧客との信頼関係を築く場である。

二階のコンセプトは「発見する・創り出す」。オープンなスペースで、社内外の様々なミーティングが行なわれる場所となる。カフェスペース、プレゼンテーションスペース、ワークショップスペース、会議室、ブースなど、打ち合わせ内容によって自由に選べるようになっている。新たなアイデアや、人と人とのコラボレーションが生まれる源として活用されている。

日常的なワークスペースは三、四階に集約されている。コンセプトは「形にする・育てる」。生まれたアイデアをチーム一丸となって形にするコラボレーションスペースだ。フロア内はフリーアドレスで、自分の決まった席はない。出社すると自分のロッカーから荷物を取り出し、仕事を終えるとロッカーにしまって退社する。本社には約二〇〇名の社員がいるが、席はあえて一三〇名分ほどしか置いていない。積極的に顧客のところに出ていることが多いので、それくらいでちょうどいいのだという。

役職や部署は全く関係なく、毎日違う社員が隣り合わせになったりする。固定的な考えにとらわれることなく、思わぬ組み合わせで新しい発見が生まれるのではないかというねらいだ。
これらのコンセプトの作成に、新倉さんは一切口をはさんでいない。にもかかわらず、「自分が思った通りのことを実現してくれている」と喜んで話す。

新倉さんは、自身の意識変革を経て、社員がみずから考え、動く会社へと成長したことに手ごたえを感じている。社員が示した新しいオフィスのコンセプトは、東和エンジニアリングが提供しているソリューションの根底にある「エンジニアリング」という概念とも通じている。異質なものを組み合わせることで用途開発をしたり、新たな価値が創造されたりする。

社員の知恵を融合し続ける東和エンジニアリングが、今後どのようなイノベーションを創造し、社会に価値を生み出していくのか、これからも目が離せない。

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上段、手前に見えるのがカフェとしてくつろぎながら情報交換ができるスペース
下段、情報発信スペース。プロジェクトに直接関係しない社員も自由に参加することができる

(おわり)


経営セミナー 松下幸之助経営塾




◆『衆知』2019.11-12より

衆知19.11-12



DATA

株式会社 東和エンジニアリング

[代表取締役社長]新倉恵里子
[本社]〒101-8631
    東京都千代田区東神田1-7-8
TEL 03-5833-8300(代表)
FAX 03-5833-8301(代表)
設立...1952年
資本金...6億3,384万6,000円
事業内容...I Tを中核とした音響、映像、情報通信、コンピュータに関する総合システムのコンサルティング、企画、設計、販売、製造、施工、監理、保守・常駐運用サポート、各システムのレンタル