「親の死に目には会えない」という強い決意で飛び込んだ歯科医療の世界で、徹底的に患者に寄り添う歯科医師がいる。患者の人生にもプラスの影響を与えたいという願いのもと理想の歯科医院をつくり、来院患者数は右肩上がり――だが一方で、スタッフが次々と去っていく現実。この状況の中で彼が取り組んだのは、企業理念を軸にした歯科医師・スタッフの新卒採用という、業界では極めて珍しい取り組みだった。横浜市鶴見区で評判の歯科医師・上野友也さん(「松下幸之助経営塾」卒塾生)に、歯科医院「経営」に目覚めた経緯と、歯科医療の枠を超えた数々の挑戦について話を聞いた。

「患者第一」の理念で歯科医療の可能性に挑む(前編) からのつづき

経営セミナー松下幸之助経営塾

<実践! 幸之助哲学>
「自己観照」によって育んだスタッフの信頼と成長――後編

理念の共有を最優先に

コンサルタントの助言を得て、「スタッフ面談」なるものを実施したこともある。だが、そのような「やり方」だけを取り入れても、全く効果はなかった。面談とはいえ、結局は上野さんが一方的に考え方を伝えるだけで、相手の話に耳を傾けることはなかったからだ。

そんな時、ある研修を受講したことがきっかけで、上野さんは自分自身の「あり方」が問題なのではないかと気づくようになる。

それまでの上野さんは、自分が考える通りにスタッフが動かないと、スタッフを責め、強く叱って言動を改めさせようとしていた。スタッフには恐怖心や反発心が芽生え、一時的・表面的には言われたことに従うかもしれないが、自分の本心からの行動ではないため、いずれ耐えられなくなるのである。

「他人を自分の思い通りにコントロールしようとするのは無理がある。外から強制するのではなくて、その人がみずからの気持ちで動くことが大切なのだ」――そのことに気がついた。

心のクセは簡単には変わらない。失敗を繰り返しながらも、上野さんは少しずつ「相手の意見に耳を傾ける」「相手の気持ちを受け止める」ことを学んでいった。

人にはそれぞれ自分の価値観があり、自分なりの仕事観・人生観を持っている。上野さんの志に共感するスタッフもいれば、異なる価値観の持ち主もいる。自分の考えをこの歯科医院で実現していくためには、価値観を変えてもらうことにエネルギーを注ぐよりも、はじめから同じ価値観や志を共有する人に入ってもらったほうがよいということに思い至り、採用方針を大きく転換することにした。

歯科医療業界もご多分に漏れず慢性的な人手不足に悩んでいる。欠員が出れば一日でも早く人を補充したい。できれば育成に手のかからない即戦力を......と考えるのが一般的かもしれない。うえの歯科医院も、これまではそうだった。が、ここであえて新卒採用に踏み切ることにした。実務や技術は入ってから教育すれば、いくらでも伸ばすことができる。しかし、価値観を共有できなければ、いくら教育してもそのギャップは埋めがたいものがある。

「一般企業は就職説明会を開催して、自社の事業を紹介したり、どういう考え方で経営しているかを説明したりします。そして面接と選考を繰り返してお互いの思いや考え方をすり合わせ、できるだけギャップがないことを確認した上で内定を出します。その後も内定者研修を実施して経営理念の理解と浸透を図り、スムーズな入社に結びつけています。歯科医院にも同じことが必要ではないかと考えたのです」(上野さん)

新卒採用にはコストも労力もかかる。はじめは苦労したが、我慢して続けていくうちに、次第に職場の空気が変化し始めた。当初、理念を打ち出すことに対してスタッフの間では冷めた雰囲気もあったが、理念を前提に入ってくる新卒スタッフが増えてくると、自分たちも変わらざるをえなくなるのだ。

上野さん自身にも大きな変化があった。それまでも「相手を認めよう」「信頼しよう」と心がけてきた。だがそれは頭でそうしているにすぎなかった。こちらの思い通りに事が進まないと、本心から相手を信頼することがむずかしい。

それが、理念に共感して一緒に実現しようとしてくれるスタッフたちの姿を見ていると、家族のようにいとおしく思えるようになったのだ。「昨日より今日、今日より明日と、成長していくのがわかります。今まで見えていなかったことが、見えるようになりました」(上野さん)

新卒採用を機に、スタッフを信頼し、スタッフの成長を実感できるようになった。こうして、うえの歯科医院は、理念を軸とした経営をさらに深めていくのである。

松下幸之助経営塾資料

伝える中身より「伝え方」が大事

二〇一六~一七年、上野さんは松下幸之助経営塾(第十三期)に参加した。
以前から松下幸之助の本には親しんでいた。独立開業する時にも、松下幸之助の言葉が支えになった。

「好況よし、不況さらによし」
開業時、日本経済は「失われた十年」と呼ばれる低迷期だった。身近な人からかけられた言葉は「がんばれよ」ではなく、「大丈夫なのか?」「迷惑かけるなよ」だった。だからこそ、何としても成功しなければない、と決意を固くした。「松下さんが言っている通り、今成功すれば、景気が回復した時はさらに発展するじゃないか」と。

経営塾では毎回、経営の修羅場をくぐり抜けてきた講師陣から実体験にもとづいた話を聞いた。本で知っていたことも、より深く、体感的に理解できるようになった。

経営塾に参加することで、自分の中の理念やビジョンが体系的に整理され、より明確な形でメッセージとして打ち出せるようになったという。ただし、大事なことは、メッセージそのものというより、その「伝え方」であること。突き詰めると、みずからの「あり方」であることを、より意識するようになったそうだ。

例えば、スタッフの一人が気になる発言をしたとする。以前の上野さんなら「それは違う」と、即座に決めつけていた。しかし今は、そのように反応する自分を客観的に見つめる自分がいるのだという。松下幸之助が言う「自己観照」である。

その上で、自分がどういう態度に出ればいいのか、どんな言葉でどう伝えることが、相手のやる気を引き出す方向になるだろうかと自問自答し、相手にフィードバックする。

「おかげで以前のように怒ることは、ほとんどなくなったと思います。以前は、すぐに胸ぐらをつかんで怒鳴りつけたりしていましたからね(笑)」と上野さんは言う。

歯科医療の枠を超えた社会貢献へ

経営者に信頼されることで、スタッフは自分の能力をさらに発揮しやすくなる。
うえの歯科医院で今取り組んでいるのは、スタッフの経営参画だ。毎週会議を開催し、顧客満足度の向上など具体的な成果に結びつくアクションプランを自分たちでつくり上げていく。以前は先頭に立っていた上野さんだが、今は一歩下がったところで見守っている。

うえの歯科医院は、歯科医療を通して社会貢献をするというビジョンを描いている。
例えば、高齢者の生活の質を向上させるための取り組みだ。口の健康、歯の健康は、体全体の健康にかかわっている。自分の歯で噛むことができる人を増やすのが、超高齢社会における歯科医療の大きな役割である。また、通院がむずかしい患者さんに対しては、訪問歯科診療を実施している。

小児歯科を通じた子育て支援という側面もある。子供にとって、歯磨きや歯科治療は「嫌なこと」である。しかし、嫌がる子供に無理やりやらせても、歯医者嫌いになるだけだ。うえの歯科医院では、子供を無理に診察台に座らせることをせず、待合室で歯ブラシを使ったり、場合によっては来院しただけでその日はよしとすることもある。「できないこと」に目を向けるのではなく、小さなステップでも「できたこと」に目を向け、無理なく楽しく歯ブラシの使用や歯の治療に向かえるように工夫をしている。そのようなかかわり方を親に見せることで、日頃の親子のコミュニケーションのヒントを提供している。今後、歯科医療を通じて、さらに子育て支援の活動を充実させていくつもりだ。

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子供が遊べる広めのキッズルーム

また、専属の管理栄養士がいることも、うえの歯科医院の特長の一つである。歯周病と糖尿病など、歯科医療と密接にかかわる病気は少なくない。栄養や体全体の健康といった側面から、口腔内のケアをしていくのは、これからの時代の流れだという。うえの歯科医院では定期的に管理栄養士による集団指導を開催している。毎回好評のため、今後さらに拡大していく予定だ。

こうした動きの原動力になっているのが、成長したスタッフたちである。彼らの中から未来の経営者を輩出するのが、上野さんの夢だ。

「誰もが経営者マインドを持って、この医院運営に携わってほしいと思っています。今、うえの歯科医院はいろいろな方面にビジョン展開しているところです。もしかしたら分社化してやっていく事業があるかもしれない。そうなれば代表を務める人物が必要になります。そんな日が来ることを期待しています」(上野さん)

歯科医療の領域にとどまらず、歯科医療を通じた社会貢献を視野に、活動を広げるうえの歯科医院。経営理念をスタッフと共有し、現場で力強く実践・展開していく。そのためには、経営者がみずからの「あり方」を常に見直し反省する「自己観照」が大切であることを、上野さんの姿から教えられた。

(おわり)

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