松下幸之助経営塾」は、松下幸之助の経営哲学を学ぶための、経営者・後継経営者を対象にした公開セミナー。今回は、松下電器元副社長・佐久間曻二氏の特別講話の要旨をご紹介します。

 

松下幸之助経営塾 講義再録

若い自分の意見で即断に驚き

私は松下電器に三十七年間、勤めました。なかでも、松下幸之助翁にお会いできたことが、最大の幸運でした。そこで今回は主に、松下幸之助翁やその薫陶を受けた諸先輩方から学んだことをお話しいたします。ただ、以降は、松下幸之助翁のことを「相談役」と呼ばせていただきます。私にとっては「相談役」が、松下電器時代から自然な呼び方になっているからです。
 
さて、私が相談役に直接お会いする機会は三度ありました。最初は、企画本部に所属していた入社四年目の一九六〇年、三役会議に出席して報告したときのことです。三役会議とは、松下電器の最高意思決定機関で、当時社長の相談役、それから松下正治副社長、髙橋荒太郎専務のお三方が集まって、合議でトップの方針を決めていました。
 
どうして若い平社員の私が、三役会議で報告することになったのか。
相談役が、新聞に掲載されていたあるミシンメーカーの貸借対照表が気になったそうです。売上や資本の規模に比べて現金保有高がものすごく高い。相談役はその秘密を知りたくなり、私の部署が調べることになりました。
 
すると、そのミシンメーカーには予約販売制度というのがあることが分かった。高価なミシンを広く販売するために考案された制度でした。当時の嫁入り道具で最も人気の高かったのがミシンでしたが、高額商品のため簡単には購入できません。そこでメーカーは、若い女性がコツコツと積み立てて、結婚する際にその積立金でミシンを購入できるようにしたのです。現金保有高が高いのは、その積立金によるものだったようです。
 
このことを報告すると今度は、「同じような販売制度を松下でもできないか検討してくれ」という指令が相談役から降りてきました。
ところが、よく調べてみると、予約販売制度には問題が多いらしい。たとえば、セールスの人が「いつでもキャンセル可能。その際はお金を返す」と言っていたのに、積み立てをやめようと会社に電話をかけると、そのセールスマンは退社してもういない。すると、別の社員から契約書を見せられ、「返金しないと書いてある」と言われたりする。こんなクレームが、消費者相談の機関に寄せられていたそうです。
 
このようなトラブルは、「お客様大事」の松下電器にとってあってはならないこと。それに、松下はそもそも、「企業は社会の公器」という理念を標榜しています。社会倫理の観点からも望ましくありませんでした。
 
また、予約販売制度は一見、魅力的にみえますが、中長期的には経営の不安材料になりかねない。第一に、近い将来、クレジットの制度が定着する。第二に、今は高価な商品も、普及すれば価格が下落する。第三に、時代とともに嫁入り道具は変わる。第四に、国民の所得が増える。このようなことが現実に起これば、入金が減り、出金ばかりが増えて、予約販売制度そのものが成立しなくなります。
 
私は、「松下電器は本来の販売制度できちんと商売したほうがよい」と企画本部の担当常務に報告しました。ところが、これで役目は終えたと思っていたら、上司が私に、「三役会議で説明しろ」という。相談役相手に説明なんて、さすがにおじけづきました。
 
しかし、実際に会ってみると、ほんとうに話しやすく、なんでもしゃべってしまいたくなるような雰囲気をもった方でした。それで私は、「予約販売制度はやめたほうがよい」と申し上げたのです。すると相談役が、「きみ、それはみずから確かめたことなのか」ときかれたので、私は「自分で確かめています」と答え、ひとまず納得していただきました。
 
それでもまだ、「きみね、あの会社は一流会社やろ。一流会社がやってることが、なんであかんねん」と言われる。私は、「ほかの一流会社がやっているから松下がマネをしていいということにはなりません。松下にふさわしいかどうかという視点でお考えいただきたい」とはっきり述べました。怖いもの知らずの青二才でしたね。しっかり調べたとはいえ、えらそうな発言をしてしまったものです。
 
ところが驚いたことに、相談役が「ああそうか。ほなやめよう」と、その場で結論を出されたのです。こういうときは、「そうか、ご苦労だった。あとはわれわれが検討するから」とでも言うのが普通でしょう。しかし相談役は、入社四年目の平社員の報告であっても、しっかり聞いて、それが正しいと理解したら即断される。「やっぱりすごいな。この方のために仕事をがんばろう」と思いました。
 
青二才が言うことでも即断できるというのは、カンが非常に鋭いのでしょう。相談役は、経営者の条件としていちばん大事なのはカンだと言っておられる。考えて、考えて、考えぬいてひらめくのがカン。それを大切にしなければいけないということです。
 

相談役の見識、30年後に納得

一九六八年十二月、私は欧州駐在を命じられてドイツのハンブルグ(勤務先となる「ハンブルグ松下電器」の所在地)へと赴任しました。相談役との次の思い出は、この欧州駐在時代のことです。
 
当時、提携していたオランダのフィリップス社のほうから、松下電器と電池の工場をつくりたいという申し出を受けていました。そこで両社は一九六九年九月、合弁会社基本契約に調印し、翌七〇年九月、ベルギーに合弁会社のフィリップス松下電池を設立します。
 
製造した電池は事前に、フィリップスブランドと松下のナショナルブランドの両方で売ることで合意していたのですが、松下側には欧州に販売会社がありませんでした。そこで私が、販売会社の欧州ナショナル電池販売を立ち上げる責任者として、派遣されたというわけです。
 
日本を離れる前、相談役のところに「いよいよ行ってまいります」とあいさつに伺いました。すると相談役は、「そうか、ご苦労やな」と言ったあと、「ところで、フィリップスと松下の売上は、なん対なんくらいになるんやろ」と質問されたのです。
 
当時のフィリップスは欧州で圧倒的に強かった。だから、フィリップスが九に対し松下のナショナルが一だと言おうとしたのですが、それでは相談役が怒るだろうと思い、「フィリップスが七、ナショナルが三」と答えました。
 
ところが、相談役はそれでも不機嫌になって、「なんでや。なんぼ悪うても、五〇対五〇や。負けたらあかん」とおっしゃるのです。私ははっきり申し上げました。
「それはムリです。欧州におけるフィリップスは、日本における松下のようなもの。日本では、松下が全国隅々まで販売網を築いているから、フィリップスは電球を売ったりしないのです。欧州ではその逆。松下の販売網はフィリップスと比較にもなりません」
 
すると相談役は、こう説かれたのです。
「松下は、電池の商売で四十年の歴史がある。アメリカでも、東南アジアでも、中南米でも、成功しとるんや。フィリップスは電池売るの、初めてやで。松下が先生、フィリップスは生徒。先生が生徒に負けていいのか」
 
私はそれでも、相談役に言いました。
「フィリップスは、電球やカセットテープなどで欧州一の会社。スーパーや百貨店からラジオ店や雑貨店まで、電池が売れるすべてのルートですでに電球やテープを売っています。つまり、電池をその横に並べて売ればいいだけなのです。電球ではフィリップスが先生。電池を売るのもむずかしくないでしょう」
 
相談役が再び返されました。
「電球の商売のノウハウと電池のそれとは違うで。そこが分からんとあかん。電池の商売のノウハウは松下で確立されている。よく勉強しなさい」
 
私はこれ以上反論すると、「欧州で電池売るの、やめとけ」と言われそうで、黙ってすごすごと引き下がりましたが、当時の力ではよくて、「フィリップス七対松下三」と思っていました。
 
それから三十年以上たった二〇〇二年、UEFAカップ(欧州サッカー連盟主催の加盟国クラブチームによる国際大会)の決勝戦をみるためオランダに行ったついでに、ベルギーの電池工場に立ち寄りました。驚いたことに、フィリップスの電池を製造していない。フィリップスは、松下の電池の商売のうまさにかなわなかったということです。相談役が正しかった。
 
かつての私はなんと不遜だったのか、なんと自分の理屈に酔っていたのか、反省しましたね。いわば敵の長所ばかりを見て、負けることしか考えていなかった。大将の資格がないということです。事前に電池の商売のノウハウを勉強しておくべきでした。自分には謙虚さがなかった、素直な心が欠けていた、ということでしょう。
 
◆『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2013年5・6月号より
 
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