松下幸之助経営塾」は、松下幸之助の経営哲学を学ぶための、経営者・後継経営者を対象にした公開セミナー。今回は、松下電器元副社長・佐久間曻二氏の特別講話の要旨をご紹介します。

 

商売の本質を松下幸之助から学ぶ(2)からのつづき

 

松下幸之助経営塾 講義再録

ライさんから教わったこと

欧州に七年駐在し、一九七六年、日本に帰ることになりました。そこで、スイスのジョン・ライさんに、お別れのあいさつに伺いました。ライさんの経営する代理店は、人口が六〇〇万人のスイスで電池を年六〇〇万個売ってくれた、私の一番のお得意です。
 
食事をしながらライさんに、「七年間、ありがとうございました。日本に帰っても、ときどき欧州に来ます。ただし今度は、A社のプレゼンターとして。そうしたら、私と取引してください」と言いました。A社に転職するというのは冗談です。
 
すると、ライさんはイヤだという。私はさらに、「ライさんはいつもA社がいいと言っていた。そのA社に移るのだから、取引してくれてもいいではないか。それに、私とライさんとは七年のつきあいがある」と述べたのですが、それでもイヤだと。理由を尋ねると、ライさんはこう答えたのです。
 
「私は、松下幸之助の経営に対する考え方に惚れている。考え方が正しいし、実践を伴っているからだ。だから私は、その考え方に基づいて、今まで商売をしてきた。A社には、そういう一貫性のある考え方がない。あなたたちも、松下幸之助の考え方を生かそうと、必死にがんばってきたではないか」
 
私は、自分たちのしてきたことはまちがっていなかったと、ライさんから最後に教えていただきました。相談役の「経営理念を売ってくれ」ということばは、こういうことだったのです。おかげで、安心して帰国の途につきました。
 

得意先に宛てられた手紙

相談役との三度目の思い出は、一九八〇年代半ば、相談役が九十歳を超えられたころのことです。ただ、相談役にお目にかかったのではなく、手紙でした。しかも、私宛ての手紙ではなく、私が得意先に持っていった一五枚もの手紙です。
 
得意先とは、家電量販店を展開する第一産業(現エディオン)の久保道正社長(当時)。相談役とは二十年来の交流があった方で、家電の小売りとしては当時日本で最大の店舗を持っていました。その久保さんが手紙を読み終えると、「あなたは幸せやなあ」とおっしゃるのです。なんのことやら分からず、手紙を見せていただくと、書き出しのほうに、こんな記述がありました。
 
「弊社の家電営業担当常務の佐久間の報告を受ける機会がありました。そのおり、あなた様にお会いしたときのことを思い出し、そのときに話したことを佐久間に言って聞かせました。すると、佐久間が近々あなた様にお目にかからせていただくという約束があるということでした。それならば、今日のわれわれの業界を取り巻く厳しい諸情勢に鑑み、、自分の手紙をしたためて、佐久間に託した次第でございます」
 
そして最後に、「佐久間はまだ責任者になって日が浅いので、自分が言い聞かせるよりも、あなたから指導していただくならありがたい」という文で終わっていました。ほんとうに涙が出そうになりました。九十歳を過ぎてもなお、部下である私をよろしくという、相談役の後輩に対する思いが感じられたからです。
 

WOWOWで理念をつくる

私は松下電器を退職後、一九九三年に衛星放送会社のWOWOW(当時、日本衛星放送)の社長に就きました。そのころの同社の経営は危機的状況にあり、一九九二年度の売上が三四六億円に対し、赤字が二〇〇億円、累積損失が七七〇億円。資本金は、七回増資して、四一〇億円でした。
 
WOWOWで最初に驚いたのは、経営理念がなかったことです。正確にいうと、会社案内などには書いてあったのですが、よく読むと、(当時の)郵政省が求めて経団連(経済団体連合会)が設立した企業だと書いてある。つまり、郵政省と経団連がバックについているということを記しているのです。これが経営理念と言えるでしょうか。「赤字になってもバックがついているから大丈夫」という甘えが、社員や関係者のあいだに出てきてしまいます。
 
当時のWOWOWは社員二〇六名のうち、一六〇名が他の一〇八社から来た社員でした。役員も皆、他社からの出向で、当初は親会社のほうを向いていましたね。
 
私が社長になっても、家電の“ハード屋さん”が畑違いの“ソフト屋さん”に来たとみられたのか、信頼されていないような感じでした。だから、経営理念を制定しようと呼びかけてもうまくいかないと思ったのですが、少なくとも共通の目標をめざして仕事をする必要はあったので、まずは経営再建を目標に掲げました。
 
もっとも、日常活動の面で経営理念に織り込むべき事柄、たとえば「お客様大切の心」とか、お得意先との「共存共栄」という考え方は、しつこく「基本の考え方」として説きました。それが定着すれば、自然に経営理念ができあがっていくとも思ったのです。
 
再建目標については、一年目に赤字を二ケタまで減らし、二年目に一ケタ、三年目でゼロにすると宣言しました。実際は、一年目が九八億円の赤字、二年目は赤字がぐんと減って五億円、三年目には六四億の利益が出たのです。こうして実績を出した結果、私を信頼してくれる空気が社内に生まれてきたので、経営理念の作成にとりかかりました。理念はトップがつくるものだと思っていたからです。
 
その後、役員会で二度の合宿を行い、私の素案をたたき台にして、経営理念について議論し、なんとかまとめあげました。さらに、社員の意見も聞こうと思い、年齢別、つまり五十代、四十代、三十代、二十代と分かれて、懇談会も開きました。私が特に気にしたのは、三十代と二十代の社員の反応です。若手社員は、「経営理念なんて、そんなややこしいものはいらない」と言うかもしれない。実際、私自身が若いころ、松下電器の経営理念の価値に気づいていなかったものですから。
 
ところが意外にも、「しっかりした経営理念が必要だ」と言う声が多く、ほんとうにうれしかった。世代にかかわらず、目標を設定し、それに向かって進んでいくということが大事だということです。ただ、年輩の私が書いた文章なので、「漢字がむずかしすぎる」と指摘されましたが(笑)。
(おわり)
◆『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2013年5・6月号より
 
経営セミナー 松下幸之助経営塾