松下幸之助経営塾」は、松下幸之助の経営哲学を学ぶための、経営者・後継経営者を対象にした公開セミナー。今回は、新屋純之輔氏(パナソニック客員)の特別講話の要旨をご紹介します。

 

人間尊重の哲学―松下"師匠"に学んだこと(2)から続く

 

松下幸之助経営塾 講義再録

人心の妙

あるとき新製品ができたので松下師匠にご覧いただいた際、若い技術者がいろいろ説明をしました。松下師匠は熱心にお聴きになっている。ところがそのあと、「説明しとったこと、きみ、分かるか」と訊くのです。私は正直に、「製造の担当なので技術のことは分かりません」と答えたところ、「きみ、分からんか。ワシが分からんのは当たり前やな」と言われたのです。それでも、「(説明した技術者に)『大事な仕事やから絶対に成功してくれ、やり遂げてくれ。ぼくが頼んでいた』と言うてくれ」とおっしゃった。がんばっている若者には、説明が少しむずかしかったとしても、こういうふうに励ます。それがいつも絶妙にうまい。
 
先輩や同僚からは、こうした励ましよりも、松下師匠に叱られたという話をよく聞きます。面白いことに、叱られた当人は、なぜかそれを誇らしく語る。松下通信工業には、松下師匠は社長として第二月曜日に来社されていたのですが、当時の部課長は叱られることが多いのに、どこにも出張せずに待っていました。叱られるということが自慢になるというわけです。松下師匠は叱りつつも人の心をつかむのがうまかったのでしょう。人心の妙です。
 
十界きょうお集まりの皆様には釈迦に説法かもしれませんし、松下師匠の話にも出てくるのですが、ここで人間生命の十界について触れてみたいと思います。十界のうち、外側の地獄から天までの六界の円を「六道」と呼び、生命の流転を表わしています。
 
これはどういうことかと言うと、たとえば、会社員がいつも同じ精神状態で出勤するわけではないということです。家族が病に倒れ、それを心配しながら会社に出てくる場合、「地獄」の状態。以前から取り組んでいる仕事がいよいよできそうだというときは、「天界」の状態。まあまあ普通な場合は「人界」の状態です。また、上司のせいで、「天界」で出勤したのに「地獄」に落ちるなんてこともあります。
 
松下師匠はその逆で、「地獄」の状態で出勤した人でも「天界」に上らす人でした。叱られていることが励ましになり、自慢となる。なぜか。
 
内側の円に、「声聞」「縁覚」「菩薩」と示してあります。「声聞」とは仏の教えを聴くことですが、松下師匠の言う「衆知を集める」ことと解釈しましょう。「縁覚」とは縁によって悟るという意味で、松下師匠の「水道哲学」に相当するのではないでしょうか。他者からの教えによらず、水道水はだれでも利用できるという現実からご自分の「水道哲学」を確立されたからです。「菩薩」は他人を高めるということでありますから、松下師匠ご自身が菩薩ではないかと。人に注意しても叱っても、それを受けたほうからすれば励ましであり教えである。われわれは外円の六道を輪廻しているのでありますが、それをすべてプラスに変えることができたのは菩薩としての松下師匠だったのではないでしょうか。
 

師匠の教えにもとづき指導

私は松下電器を離れてからも、品質管理のお手伝いをいくつかの会社でしてきました。その中の一つに、松下通信工業をはじめ会社や学校の食堂を運営し、のちに業容を拡大してレストラン経営などにまで進出した東京の会社があります。その会社が運営する中華料理店で、社員稼業の実践に力を入れました。
 
たとえば、コスト意識を高める。ホタテ貝の串カツをつくる際、ヒモを捨てていました。それを煮てお通しにすれば、売上が上がる。キャベツの漬物を仕入れていましたが、午後のお客様が少なくて暇な時間帯に自分たちで漬ければいい。これだけで年に何十万円というコスト削減になる。
 
同社運営の他のレストランでも、同様のことをしました。たとえば、ボトルワインを提供していましたが、三人以上のグループ客でないとあまり注文がない。そこで、グラスワインをメニューに入れたら、三倍の注文が入るようになった。社員稼業の意識を徹底させれば、利益は確実に上がるのです。
 
社員稼業には衆知を集めることも大切です。埼玉県のヨーグルトの会社に品質管理のお手伝いに伺ったときのこと。商品の味はだれが決めているのかと尋ねたら、上層部だという。次に、だれが買っているのかと尋ねたら、この会社で働いているパートさんのような女性たちが多いという。
 
それなら、味のことをいちばんよく分かるのはパートさんでしょう。そこで、パートさんから成る「味のクルー」というのを立ち上げ、味を決めてもらいました。すると、自分たちが決めるのだということで、パートさんたちが生き生きと働くようになった。これぞ、衆知を集める社員稼業です。
 
女性のブラウスなどを製造している佐賀県の工場に毎週通ったことがあります。その工場には無給の「居残り」がありました。商品を不良にした人が居残ってつくり直す、ということなのですが、「居残り」と呼んでいるのに昼休みの時間をつぶして働いている。子育てをしている女性のパートが多く、夜遅くまで残れませんから、昼にやるというわけです。労働基準法に抵触しているのではないかとも思ったのですが、とにかくベテランの女性検査員が厳しく商品をチェックしている。
 
たしかに、この方法では不良品の出荷を抑えることができるかもしれない。しかし、そもそも不良品をつくらなければいい話です。そうすれば、「居残り」なんてものもなくなる。
 
まず、製造に要する時間を少し延ばしました。あんまり急いでやるから不良品が出るのです。女性検査員には、「不良品を見つけ出すことよりも、不良品をなくすことがあなたの仕事だ。ひとつ自分が経営者だと思ってやってください」と言いました。そうしたら、検査員も張り切って仕事をするようになり、不良品もぐんと減りました。これも社員稼業の成果です。
 
逆に、「どうして社員稼業ができないのか」と思うこともしばしばです。かつての勤務先に呼ばれて行ったとき、受付の二人の女性に「休憩時間はだれが決めているのか」と尋ねました。人事だという。これはおかしい。受付の女性自身が決めればいいことです。
 
まず、何曜日の、どの時間帯の、どういう天気のときに来訪されるお客様が多いか少ないか、統計を取ってみる(統計的QC)。そうすれば、いつごろ休憩を取ればよいのか、分かるでしょう。大切なのは、受付の女性がお客様にもっとも喜んでいただけるように時間を組むことであり、人事が形式的に決めるものではありません。知恵を出すべきは、その仕事をしている当人だということです。
 
以上述べてきたことを、私は四十四年も松下電器に勤めているあいだ、松下師匠から教わってきました。そして、その経験を生かしていろいろな会社のお手伝いをさせていただきましたが、どんな業種であってもだいたい成果が上がっています。
とりわけ人間尊重が重要です。ここに松下師匠の哲学があると思っています。松下師匠が人間尊重の姿勢に徹してくれたからこそ、私は非常に幸せな仕事人生を送らせていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。
 
皆様にとってたいへんな時代ですが、たいへんであるからこそ、基本的な哲学にいま一度立ち戻ってみてはいかがでしょうか。
 
(おわり)
◆『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2013年3・4月号より
 
経営セミナー 松下幸之助経営塾