20代の社会人生活は、高校のころからの夢だったオートバイレーサーとして過ごした。300キロオーバー0.1秒を競うレースの魅力にのめり込んで戦った。挫折もあったし、事故にもあったが、人との出会いの中で多くを学んだ。そして、33歳で起業。レースで突き詰めた人生の真理と仕事の極意は、どの世界でも通用する。そう信じて若者、組織、地域の活性化に邁進する「松下幸之助経営塾」塾生の石川朋之さんの思いに迫った。

 

志を立てる 若い人たちを元気にしたい

高校時代はオートバイ一色の生活に

株式会社HONKI(ホンキ)。京都市内に本社を構え、滋賀支社を活動の拠点としている。支社は別名「キャリア支援センター エンカレッジ滋賀」。滋賀県で就職したい学生と、新卒を採用したい県内の企業とのマッチングを図る支援事業を展開している。
 
そのほか「学生」「企業」「大学」をつなぎ、若者、組織、地域の活性化を図る事業化も行なっている。企業とパートナーシップを組み組織開発を手掛ける社員もいれば、大学に出向き、ディベート講座を展開する社員もいる。いずれも共通しているのは「若い人たちを元気にしたい!」という石川朋之さんの強い思いだ。
 
会社設立は二〇一〇年、三十八歳のとき。それまで人材育成事業に携わった経験はなく、なんと、前職はオートバイレーサーだった。レース一筋で二十代を駆け抜けた石川さんが、なぜ経営者に転身したのか。そこには必然の流れがあった。
 

いじめにあった中学時代

大阪生まれの、奈良育ち。少年期のころへと話が及ぶと、エネルギーに満ちあふれた石川さんの口から意外な言葉がもれた。「ぼくね、中学時代、いじめられていたんですよ」。小さいころから水泳をやっていた石川さんは、小学生のときに全国二位までいったスポーツ少年だった。中学校でも水泳部に所属し、キャプテンを務めた。県大会、近畿大会まで進む成績を残し、そのたびに全校生徒の前で表彰されたという。そんな石川さんがいじめの対象になった。靴がなくなったり、掃除中に頭を踏まれたり。「理由はわからないけど、ねたみややっかみがあったんでしょうかね」。友人たちはいじめのターゲットが自分に移るのを恐れて、次第に石川さんから離れていった。孤独感を強めた中学時代にいい思い出はないと話す。
 
多感な思春期、親の言うことも教師の言うことも聞かなかった。おまけに勉強もしなかった。高校受験を控えた保護者面談で、石川さんの母が担任から言われたのは「朋之君は行ける高校がありません。お母さんが探してきてください」というまさかの一言。「母は北海道の全寮制の高校をはじめ、いろいろな高校を調べてくれました」。石川さんはその中から大阪市内にある高校を選び、進学することになる。「入学試験はすべて○×の二択問題。名前を書いたら受かるような学校だったと思います(笑)」と振り返る。
 
オートバイレーサーから経営者へ異色の転身~HONKI・石川朋之さん(2)へつづく
 
 

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