20代の社会人生活は、高校のころからの夢だったオートバイレーサーとして過ごした。300キロオーバー0.1秒を競うレースの魅力にのめり込んで戦った。挫折もあったし、事故にもあったが、人との出会いの中で多くを学んだ。そして、33歳で起業。レースで突き詰めた人生の真理と仕事の極意は、どの世界でも通用する。そう信じて若者、組織、地域の活性化に邁進する「松下幸之助経営塾」塾生の石川朋之さんの思いに迫った。

 

オートバイレーサーから経営者へ異色の転身(2) からのつづき

 

志を立てる

自分を取り巻く流れを感じて

そのころからレーサー以外の仕事の声がかかるようになってきた。ラジオのパーソナリティとしてモータースポーツの魅力を語る番組を持ったり、サーキットを見に来た大学の先生の依頼でゼミの講師をしたり。就職塾で講演もした。石川さんはなんとなく「(これらの仕事は)断わったらいけない」と感じていた。自分の意志ひとつで入ったレーサーの仕事とはまた違い、人が運んでくる仕事もあるんだなと思い始めていた。「レースだけやっていればいいのではなく、自分にきたこの流れに向きあわなければならないような気がしたんです」。
 
講演の機会を通じて、学生たちに元気がないと感じた石川さんは、自分の経験を一生懸命語った。学生たちを取り巻く環境は、就職氷河期が終結したものの、リーマンショックによって再び就職状況が下降に転じていた。「レースの世界も同じ。不景気のときはメーカーもスポンサーも撤退する。でも、その中でもやる奴はやる」。十年以上ひとつの世界でやってきた経験から得た本音をぶつけた。
 
そんなときにある学生から手紙が届く。“大手企業から内定をもらったが断わった。石川さんに言われたように夢を持ってやってみる”という気持ちが綴つづられていた。「それを読んで、うれしい反面、しまったと思った。その子の人生を変えてしまったと。そこで、これはもう中途半端にやってはいけないと思ったんです」。これからは若者を元気にする仕事をしたい。石川さんの思いがはっきりした瞬間だ。レーサーを引退し、退路をたった。

 

ビジネスもレースも考え方は同じ

起業にあたって明確なビジネスモデルがあったわけではない。だが、確信はあった。ビジネスもレースも同じ。強い思いを持ち、目標を達成するためにどうするのかを考えればいいのだと。レーサー時代、ベストタイムでゴールするために三〇周をどうペース配分するのか、どのタイミングで何をするのか、常に考えてきた。チームのメンバーたちが同じ方向を向くにはどうすればいいのかも。仕事は結局、そこに行き着くのだと思っている。オートバイレースで突き詰めた考え方は、どの業界のどんな仕事にも通用するのだと石川さんは信じている。
 
会社設立後、経営者の交流の場には積極的に参加した。最初の半年間で交換した名刺は約一〇〇〇枚。飛行機の中で隣り合わせた人、エレベーターでいっしょになった人にも、機会を見つけては自分自身を売り込んだ。幸いなことに、そのつながりの中で仕事が増えていったという。「なかには“石川くん元気やな。事業のことはようわからんけど、うちでも何かやってよ”と声をかけてくださる方もいます(笑)」。
 
社員数は石川さんを含めて七名。「社員というよりパートナーです。組織開発やM&A、キャリア教育、その道のプロが集まっています。ぼくは方向性を示すだけ。みんな自分で考えて自分で動く」。若い人たちを元気にするというビジョンを掲げ、顧客が求めることを必死でやっていたら、必要なメンバーがそろい、今の事業ができていたと語る。
 

まず、自分たちが本気でチャレンジ

石川さんは、自分たちの事業は地域の未来をつくっていく仕事だと考えている。「学生を対象にスタートしましたが、会社に入って元気をなくしたら意味がない。そこで企業も元気にしたい。企業が成長すれば地域が潤う。人の成長を軸に、地域が活性化するサイクルをつくっていきたいんです」。事業は学校教育支援、就職支援、採用支援、教育研修、組織開発支援、海外進出支援の五つを柱にしている。
 
「いまの学生たちは、世の中が言うほど元気がないわけじゃない。元気もあるし、強い思いを持った子もたくさんいる。チャレンジを生み出せないのは、自分たち大人がそういう姿を見せていないからだと思います」。まず、自分が夢を持ってチャレンジする。そうすれば若い子たちも続いてくれると感じている。
 
社名のHONKIは自分たちの本気。「私たちは本気です、という気迫を伝えていきたい。アルファベットにしているのは、海外にもその思いを展開したいから」。石川さんは、本気を人へ、組織へ、地域へ、そして世界へ広げていきたいと思っている。
(おわり)
 
◆『PHP松下幸之助塾』2015.11-12より
 

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