カキの養殖が盛んな広島県。その殻であるカキ殻を加工・再利用して循環型事業を実践している会社が広島市内にある。創業60年を超える丸栄だ。

1992年から創業者と息子がそれぞれ会長、2代目社長として経営を司ってきたが、2002年に両者が相次いで亡くなる。その後、社長に就任したのが2代目の妻、立木陽子さん(「松下幸之助経営塾」塾生)。当初は経営のイロハも知らなかった。しかし、創業者と夫の志を受け継ぎ、社長としての仕事に注力。社員からの信頼も得、社業は順調に発展を遂げている。その立木さんに、丸栄のこと、そしてご自身の経営に対する考えを聞いた。

 

志を立てる
理念を力に、カキ殻の循環型事業に邁進

広島県の重要な地場産業であるカキの養殖。日本のカキ養殖生産量の約六五パーセントを占め、濃厚な味わいで人気を呼んでいる。「海のミルク」と称されるほど栄養分が豊富なカキだが、じつはその殻にも多くの養分が含まれている。
カキ殻の成分は九〇パーセントがカルシウムでミネラルも豊富。殻は捨てるものという概念を覆し、資源として活用する事業で成功を収めているのが丸栄だ。広島県だけで年に約一五万~一六万トンが出るカキ殻のうち、一〇万トンを同社で加工・再利用している。業界のパイオニアであり、国内最大手だ。

 

義父が創業、飼料と肥料で発展

丸栄の前身は、一九四九年に、現社長・立木陽子さんの義父にあたる立木穣みのる氏が兄たちとともに始めた精米・製粉所である。立木家はもともと岐阜で製糸工場を営んでいたが、世界恐慌後に衰退し、親子八人なけなしの金で広島にたどり着いたという。やがて精米の際に出る米ぬか等を混ぜたニワトリの配合飼料をつくる丸栄商店を立ち上げた。
 
そんな折、穣氏は県からカキ殻の処理について相談をもちかけられる。養殖生産量が増えるなか、カキ殻の処理が問題化してきたのだ。かつては養殖業者がトラックでカキ殻を踏み潰し、養鶏場に分けるなどしていたが、それでは処理しきれなくなる。道路脇に野積みにされて悪臭を放ち、公害問題にまで発展した。
 
「父は男気のある人でした。『承知しました』と即答したそうです」と立木さん。こうして一九五二年、丸栄株式会社が誕生。五七年には、日本で初めてカキ殻を加工・再利用する工場として、海田工場を建設した。まったくの異分野から参入した穣氏は、カキ殻を粉砕して乾燥させる機械のラインを一から考え、構築していったという。
 
「父は失敗を恐れないタイプ。周りが『絶対失敗する』と言っても、まずやってみる。その実行力で今の工場がつくられていったのです」
 
カキ殻加工のポイントは、いかに水分を乾燥させるか。丸栄では一九七〇年代に独自の乾燥機を開発し、その改良・増設を重ねてきた。現在の製造プラントでは、自動制御により水分を七パーセント以下に安定して抑えることができる。こうして高品質なカキ殻製品の安定供給を実現してきた。
 
その一方で一九六七年、カキ殻を利用した肥料の製造販売を始める。それまで丸栄が主に扱っていたのはニワトリの飼料用カキ殻。しかし、その飼料をつくる過程で細かい粉が派生するのが悩みの種だった。この粉を生かす手はないかと、大学の専門家らとともに研究を重ねた結果、炭酸カルシウムが酸性土壌を中和するという効果だけでなく、土壌が柔らかくなり根張りが抜群によい、また含んでいるミネラル分が作物の質を大きく高め、品質の安定した作物ができるなど、今までにない石灰質肥料として有効であることが実証された。当初は販売に苦慮したが、農園や酪農家など一軒一軒回った社員の地道な努力が実り、今や「サンライム」という商品として全国の農業関係者に親しまれている。
 
熱意と努力でよく生きる(2) へつづく
◆『PHP松下幸之助塾』2015.9-10より
 
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