カキの養殖が盛んな広島県。その殻であるカキ殻を加工・再利用して循環型事業を実践している会社が広島市内にある。創業60年を超える丸栄だ。

1992年から創業者と息子がそれぞれ会長、2代目社長として経営を司ってきたが、2002年に両者が相次いで亡くなる。その後、社長に就任したのが2代目の妻、立木陽子さん(「松下幸之助経営塾」塾生)。当初は経営のイロハも知らなかった。しかし、創業者と夫の志を受け継ぎ、社長としての仕事に注力。社員からの信頼も得、社業は順調に発展を遂げている。その立木さんに、丸栄のこと、そしてご自身の経営に対する考えを聞いた。

 

熱意と努力でよく生きる(1) からの続き

 

志を立てる
理念を力にカキ殻の循環型事業に邁進

広島のカキ産業の発展を願う

「父も夫も、つねに自社だけでなく、広島のカキ産業全体の発展を願っていました」と立木さん。それを象徴するのが一九九六年に建設した船越工場だ。カキ養殖に欠かせないホタテの貝殻を加工するための工場である。

 

カキの養殖は、海中で稚貝を採取することから始まる。中央に穴をあけたホタテの殻を八〇枚ほど連ねて針金に通し、それをいかだにつるして海中に垂らす。そこにカキの卵を付着させる。これを種付けと呼ぶ。

 

船越工場では、北海道から船で運び込んだホタテの殻を加工し、広島のカキ養殖業者に卸している。カキ殻の加工・再利用だけでなく、こうしてカキ養殖のスタート時からかかわることで、広島のカキの安定供給をめざしているという。

 

「船越工場は、父が『広島のカキ産業を守りたい』という一心で建てた工場です。父は、丸栄がカキ殻を資源としたビジネスをしている以上、カキ業界と手をたずさえて一緒に発展していかなければならないと考えていました。その思いは今の丸栄にも根付いています」

 

船越工場の建設後、カキ殻の需要も併せて伸び、事業は順調に拡大していった。そんなとき、突然の不幸が会社を襲う。創業者で会長の穣氏と夫で社長の茂氏を相次いで失ったのだ。

 

茂氏は急性骨髄性白血病を発症した。入退院を繰り返していたものの、退院しているあいだはふだんと変わらず仕事を続けていたという。だから、立木さんも社員も、絶対治ると信じていた。一方、穣氏は肺がんを患った。息子の命がもう短いと知ったショックもあったのだろうか、二〇〇二年十月に他界。茂氏もそれを追うように、その翌月に逝去する。

 

社長就任への決心

会長も社長も、ほぼ同時に失った丸栄。「陽子さん、社長やりなさいよ。あなたがするしかないじゃない」との義母の言葉に、「そうですよね」と答えたものの、自信はなかった。

 

覚悟を決めたのは、実父の一言。「私にできるかね」とこぼした立木さんに、実父は「バカか、オマエは」と言ったまま押し黙った。そのとき、「できるかできないかではない。自分がやるしかないんだ」という覚悟が据わったのだという。

 

また、懸命に働く社員の姿が、立木さんの背中を押した。

「夫と父が亡くなっても、工場はいつものように稼働し、トラブルにもきちんと対処している。本社のほうでも、注文を取って営業を続けている。何も変わりがない。これだけ社員のみんなができるのだから、私は社長として存在するだけで大丈夫だと思いました」

 

社長になった立木さんがまず取り組んだのが、「役職を付ける」こと。丸栄にはそれまで、会長と社長以外に役職がなかった。そこで、社員の帰属意識を高め、会社としての体制を整えるため、「部長」「課長」「工場長」という役職を設けた。

 

次に、いつでも工場へ行けるように、夜間の教習所に通って自動車の運転免許を取得した。社長就任前は事務職として働いていた立木さんは、工場のことをよく知らない。前社長時代から右腕として会社を支えてきた統括部長のアドバイスを受けながら、工場のことを一から勉強した。また、現場の社員と意見を交換し、製造プラントの行程を一つひとつ見直すこともした。

 

引き継ぎも心構えもないまま、事務職から突然社長に転身した立木さん。たいへんな苦労があったのではないかと想像するが、「私には何もかもが初めてのことだったので、楽しいと思えたし、今でも毎日を楽しく過ごしています」と穏やかにほほえむ。つらいとか面倒だとか、感じたことがないという。何とも経営者向きの性格だが、もともとそうだったのだろうか。

 

「前向きな思考になったのは夫と出会ってから。『変わった人だなあ』という第一印象だったけれど、そのうち『この人さえ分かってくれれば、ほかの人から何を言われても平気』と思えるようになりました」

 

今は亡き人生のパートナーは、立木さんに絶対的な自信と安心をくれたのである。

 

熱意と努力でよく生きる(3) へつづく

◆『PHP松下幸之助塾』2015.9-10より

 

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