数々の困難を乗り越えて発展させてきた会社をだれにどう引き継ぐのか――。「松下幸之助経営塾」塾生の「事業継承(承継)」事例~ナカリングループ~をご紹介します。

 

◆「商法は日々新たなり 商道は不変なり(2)」からの続き

 

お客様・会社・社員が等しく喜び満足する経営を追求

ベンツ販売強さの理由

かつてグループの中核はナカリンオートが担っていた。だが、ディーラー部門の強化なしには生き残れないという経営判断から事業規模を縮小し、人員をメルセデス・ベンツ中央に徐々にシフト。その結果、グループ内では最後発ながら、メルセデス・ベンツ中央の売上は、グループ全体の八割を占めるまでに成長した。会社設立から二十五年を迎えた昨年度には、売上の八四億円をはじめ、利益、販売台数のすべてにおいて過去最高を記録している。それについて秀高氏はこう分析する。
 
「各モデルのフルモデルチェンジやまったく新しい新型車の発売、アベノミクス効果、消費増税前の駆け込み需要、さらには一昨年の豊洲店のオープンと、さまざまな要因がプラスに働きました」
 
同社におけるハイグレードモデルの販売比率は、全国平均より高い。それは、ビジネス街に近いという場所柄、法人顧客が役員車として購入するケースが多いからだ。だが、地理的要因を差し引いても、日本一のベンツ正規ディーラーと認められるからには、何か秘密があるのではないか。
 
秀高氏は、「特に何かあるわけではありませんが」と前置きしたうえで、次のように語る。
 
「ベンツという商品自体はどこで買われても同じですから、最終的には“人”だと思います。来店される方にも、お電話で最初のコンタクトをとられる方にも、第一印象が非常に大事でしょう。受付の女性、応対する社員、商談を進めるうえであいさつをする上司、それぞれの対応が大切です。
当社の社員教育で特別なことはしていませんが、あいさつや発声、お辞儀の仕方といった基本は、それこそ毎朝の朝礼で訓練しています。それで完全にできるようになるわけではないものの、日々の積み重ねが大事なのではないでしょうか」

 

グループの理念はしっかり継承

秀高氏のメルセデス・ベンツ中央社長就任と時を同じくして、武夫氏から港三菱自動車販売の社長を引き継いだのが、次男の高虎氏である。高虎氏は、トヨタ自動車の営業マンを三年間経験したのち、港三菱自動車販売の設立と同時に入社。要職を歴任し社長に就任したものの、いきなりトラブルに見舞われる。
 
「私は二〇〇〇(平成十二)年六月に社長になったのですが、その翌月に三菱自動車のリコール騒動が起きました。そのため私が社長として初めてお客様に出した手紙は、『ご迷惑をかけて申し訳ありません』という謝罪のものだったんです」
 
以来、港三菱自動車販売は、それ以前に比べると、厳しい経営環境に置かれることになったが、それでもナカリングループの一翼を担っていく方針に変わりはないという。それについて、武夫氏は三菱自動車への感謝の念を口にする。
 
「正直なところ、ベンツを扱うことができなかったら、(グループの)経営は縮小せざるを得なかったかもしれません。三菱自動車さんのお世話があって、ベンツを扱わせていただくことができました。そういうわけですから、三菱自動車さんのディーラーとしての仕事も大事なのです。お世話になったことを忘れてはいけません」
 
事実、高虎氏もメルセデス・ベンツ中央の副社長を兼ねてはいるものの、軸足は港三菱自動車販売に置いている。
 
「おかげさまで、特に法人のお客様がずっとついてくださっています。もちろん、今後もそうしたお客様との関係を大切にしつつ、初めて来店される新規のお客様も増やしたいですね」
 
社長交代に当たって、武夫氏から二人への申し送りは特になかったというが、社長としての二人の話を聞くかぎり、グループの理念はしっかりと継承されているようだ。
 
それを日々確認するために、グループの全員が常に携行している小冊子「創業100周年に向けて」がある。創業五十周年時につくられたもので、「三者鼎立の原則」をはじめ、会社経営や行動の指針が記されていて、必ず朝礼で全員が唱えている。さらに幹部会議や役員会などでも、出席者全員で斉唱するのが伝統だ。
 

創業70周年に向けて

二人の息子に社長職を譲った今も、毎朝七時には出社する武夫氏。その日課は三十年近く前から変わらない。日の出前の三時に起き、入浴したあとにお経を唱え、先祖や、大作氏をはじめ亡くなったかつての仲間の冥福を祈る。そして四時半からの二時間、般若心経の写経をするのだ。それを毎朝三枚のペースで書く。ちなみに、筆者が武夫氏にお話を伺った日(今年六月十七日)の朝までの累計は二万八五五八巻に達したそうだ。
 
般若心経は、メルセデス・ベンツの購入客にも書く。「還暦、古希、喜寿、傘寿、米寿。お客様がその誕生日を迎えられるときに、お祝いにランの花を添えて一緒に贈っています。お客様にこちらが助けていただいているのですから、お礼返しに。これは当たり前のことです」。
 
四年後の二〇一八(平成三十)年二月、ナカリングループは創業七十周年を迎える。武夫氏には、写経が三万二〇〇〇巻に達することに加え、もう一つ目標がある。
 
「私は九十二歳になりますが、その日までに『日本一クラブ』をつくりたい。これは私の夢。どんな業種、商売でもいいから、それぞれの分野で日本一をめざす人の集まりをつくりたいんです。それにはまず当社自身が、日本一と認めてもらわないといけません」
 
八十八歳の今なおグループの精神的支柱である武夫氏。かくしゃくとした様子からして目標達成もむずかしいことではないだろう。
一方、ナカリングループとしては、今後どんな戦略を描いているのだろうか。
 
「ベンツのサービス工場と中古車センターが江東区にあるため、同じ区内にどうしてもベンツの営業所が欲しかったのですが、ようやく一昨年に豊洲店を持つことができました。平成三十年までは、従来の店舗に加え豊洲店を充実させることに全力を注いでいかなくてはなりません」
 
そう話す秀高氏に、自身の経営理念も尋ねた。
 
「経営理念というものは、変える必要のないものだと思っています。たしかに商売のやり方は時代とともに変わるものです。父の代にはやってこなかったことも、時代の変遷とともにやるかもしれません。でも、商売の基本的な考え方は、これまでも、これからも、変わりません」
 
前述した小冊子「創業100周年に向けて」の巻頭の結びに、武夫氏はこう記している。
 
「商法は日々新たなり、商道は不変なり」
 
ナカリングループは、創業者の定めたその道から外れることなく、百周年さらにその先も進んでいくに違いない。
 
(おわり)
 
◆『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2014年9・10月号より
 
 
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