数々の困難を乗り越えて発展させてきた会社をだれにどう引き継ぐのか――。「松下幸之助経営塾」塾生の「事業継承(承継)」事例~ナカリングループ~をご紹介します。
◆「商法は日々新たなり 商道は不変なり(1)」からの続き
お客様・会社・社員が等しく喜び満足する経営を追求
「三者鼎立の原則」の誕生
農家に生まれた武夫氏は、祖父や父が米をつくる姿を見て、生産労働の尊さが身にしみていた。しかし、商売はものを右から左に動かすだけで金が入る。生産活動がないのになぜ利益を得ることができるのか、納得がいかない。
そんなとき、武夫氏は松下幸之助の講演会に参加する。その質疑応答で、自身の迷いをぶつけると、幸之助はこう答えたという。
「欲しがっているお客さんに商品を届けるのは喜びを届けることです。必要なものを必要なときにお届けする。これはお客さんのお役に立つことであり、それこそが商売なのです」
目からウロコが落ちる思いがした。ほどなくして「三者鼎立の原則」を定める。「鼎立」とは、本来は三つの勢力が互いに対立することを意味する言葉だが、武夫氏は独自に次のように定義した。
私たちは、仕事を通じて、人・世のために捧げ尽くすことにより、真の喜びを会得することを目的とする。その目的を達成するためには、次の三者が等しく共に満足されなければならない。
一.お客様のご満足
一.会社の発展
一.社員の幸福
顧客、会社、社員。これらを三本の脚にたとえ、それらが等しく喜び満足することで鼎は立派になっていくというのが、この原則の考え方だ。今もなお、ナカリングループの中心理念である。
ベンツへの道は三菱自動車から
中島輪正館と改称してから二年後、現在の「ナカリンオート」に社名を変更。中央区の本社ビルのほか、港区に整備工場を備えた営業所を開設するなど、「自動車の総合コンサルタント」という触れ込みで着実に業容を拡大していった。そして一九七七(昭和五十二)年、その後のグループの命運を決めたといってもよい出合いを果たす。
三菱自動車が新型車「ミラージュ」を新たな販売網を使って販売することになり、すでに三菱商事と取引があったナカリンオートに、その販売網への参加話が持ち込まれた。それまでナカリンオートは複数メーカーの自動車を扱っていたが、ここで三菱自動車の正規ディーラーになる道を選んだのである。このとき設立したのが「東京銀座三菱自動車販売」で、これが現在の「港三菱自動車販売」へとつながっていく。
三菱自動車との出合いは、メルセデス・ベンツのディーラーへの道もひらいた。かつて日本では、メルセデス・ベンツはヤナセが独占販売していた。それが、一九八〇年代後半になり、メルセデス・ベンツ日本が販売強化を目的に新たな販売網をつくることを計画、三菱自動車との共同出資で販売会社を設立する。そのディーラーの第一号店として、ナカリングループに白羽の矢が立ったのだ。それは、武夫氏が、専門家に弟子入りして学んだ易学を通じ、三菱グループ上層部と築いた結びつきの強さがあってのことだった。
その後武夫氏は、創業期から技術部門を支えていた弟の大作氏に、ナカリンオート社長の座を譲る。大作氏は「ナカリングループにとっては最高の功労者。私にとっては最大の恩人」と武夫氏が語るほどの人物だが、就任後約半年で病に倒れたことから、二〇〇〇(平成十二)年、武夫氏の長男である中嶌秀高氏が社長に就任した。
秀高氏は三菱商事自販を経て、一九八二(昭和五十七)年にナカリンオートに入社。創業六十周年に当たる二〇〇八(平成二十)年からは、メルセデス・ベンツ中央の社長を務めている。
また、次男の中嶌高虎氏は、同社副社長である一方、港三菱自動車販売の社長である。
◆「商法は日々新たなり 商道は不変なり(3)」へつづく
◆『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2014年9・10月号より