数々の困難を乗り越えて発展させてきた会社をだれにどう引き継ぐのか――。「松下幸之助経営塾」塾生の「事業継承(承継)」事例~小鯛雀鮨 鮨萬~をご紹介します。
◆「大阪すしの老舗 400年企業をめざして(1)」からの続き
実業から企業へ。宏之氏の改革
鮨萬はその年、株式会社に改組し、宏之氏は社長として本格的に会社を牽引する存在となった。しかし、周囲は年長者の部下ばかり。「社長は職人衆から選ばれるべき」という旧来の考えが根強く、わが物顔で店を仕切る古参のすし職人もいた。ほかにも問題は山積しており、「最初の十年間は目前にある課題に取り組むだけで精一杯でした」と宏之氏は振り返る。一人で悩みを抱える時期もあったが、努力が実り売上は伸長。バブル景気の波に乗り、委託販売を含めると二九店舗まで拡大を遂げた。
その中で宏之氏は、社内改革に奔走する。取り組んだのは、家業から企業への転換。従業員一人ひとりが「経営者家族を手伝う」という家業意識を排し、「自分たちの会社を発展させる」という意識を持たせることが先決と考えたのだ。
社内を見渡せば、職人は先代のころに教わった作法に従った包丁使いをし、寸分たがわぬ盛りつけをしている。従業員は、教えられたとおりの手順で作業に取り組んでいる。彼らの作法・作業は伝統を守っているように見える半面、教えられた手順や形式を取る理由をみずから考えておらず、ただ教わったことを日々繰り返してきただけともいえる。
宏之氏は、社長に就くまで職人のもと九年にわたる修業を経てきたことから、旧来の現場体質を熟知していた。職人ごとに異なる技法が伝えられているのが実情で、鮨萬としてきちんと伝統にもとづく技法を後世に残すという意識に欠けていることに気づく。そこで、「仕事は見て覚える」といった昔ながらのやり方からの脱却に力を入れた。
また、バブル景気が一段落すると、財務状況の見直しが急がれた。しかし、職人たちにコスト意識がない。たとえば、販売数量にかかわらず、「食材は決められた量を毎日仕入れる」といったことを繰り返していた。「仕入れる経費も自分たちのお金」との感覚を持たせることで、言われたとおりに行うことを最優先にする体質を改めていった。
従業員の給与体系も、時間をかけて見直しを行なった。かつての経済成長期には、腕のよい職人を増やすだけ売上も利益も伸長したが、そのような時代が続くはずもなく、人件費はかさむばかり。宏之氏は心を砕いて従業員を説得し、工夫を凝らしながら給与体系の是正を図った。
さらに、長年の懸案だった旧本店の移転問題にも着手。明治期に建てられた船場の旧本店は老舗らしい風格が漂い、訪れる客をもてなすには十分な格式が感じられる一方、築百年を過ぎた建物だけに、老朽化が目立ってきた。しかし、修繕や改造には大きなコストを要する。加えて、旧本店は日露戦争のころに人手へ渡った経緯があり、修繕や改造には貸主の同意が必要だったが、交渉は難航を極めた。対案として買い取りを申し出るも折り合いがつかず、移転を決断、断行する。
生まれ育った旧本店の移転については、宏之氏のみならず社内の皆が心から望んだものではなく、反対の声がかなり上がったそうだ。しかし、大阪市内の中心部に自社の土地・建物を取得。本店に関する問題をようやく解決した。
以上のような宏之氏による改革をとおして、鮨萬は家業から企業へと発展を遂げていったのである。
新社長・康宏氏の挑戦
二〇一〇(平成二十二)年、宏之氏の長男・康宏氏が入社。大学卒業後に大手飲料メーカーのグループ企業に勤務し、営業マンとして充実した日々を送っていたが、ふだん口数の少ない父から切り出された「そろそろ戻らないか」との言葉に、職を辞して鮨萬に入社する決心を固める。
宏之氏は当時まだ五十代半ばであり、周囲からすれば、事業承継を急ぐ理由もなかった。ただ、若くして社長に就いた自身の経験から、「経営を学ぶことに早過ぎるということはない」との思いがあり、康宏氏がまだ若いうちに社長を継ぐことについて話をしようと考えていたという。また、宏之氏自身は入社当時にすし職人として修業を重ねていたが、これも現代には必要ないと判断し、即座に経営を学ばせることにした。
宏之氏と同じく、康宏氏も旧本店で生まれ育ち、幼少期には職人や従業員が働く姿を目の当たりにしていた。しかし、社会で経験を積んだあとにあらためて社内を見ていくと、さまざまな問題点が目につく。改善すべき部分が見えてきた康宏氏は、会社のためにと改革に着手した。
まず行なったのは、解決すべき課題や会社の現状を「見える化」し、共有するための取り組みだ。週一回の定例会議、料理長や店長が一堂に会しての会議を開催し、事業に関するPDCAを説明、データを明示することにした。
併せて「四百年間お客様に愛され、必要とされる会社にする」との志を従業員に語りながら、みずからも現状を検証・分析し、従業員と目標達成に向けて取り組んでいく。こうしたかたちで従業員とのコミュニケーションを図ることは、前職で培った能力を生かす康宏氏らしいアクションといえよう。
また、社外関係者に対する振る舞いも見直した。食材や包装資材等の取引業者は約八〇社、うち水産会社だけでも一五社と提携している。これは、しけや不漁のリスクを回避するためであり、現に食材がなくて休業したことは一度もない。ただ、長年にわたって取引をしてきた業者とは、老舗のブランド力による上下関係が生じ、あいさつ一つにもなれ合う様子が見えていた。こうしたなれ合いは、担当者間ではよいとしても、お客様や第三者から見れば、礼節に欠く振る舞いと受け取られかねない。そこで、来客時には一旦作業を止めてあいさつをする基本姿勢から徹底。社長みずからが率先垂範の行動を取り、企業人としての振る舞いを社内に広げていった。
人材の獲得・育成についても、今後の業容拡大を視野に入れ、取り組みを強める。業界では即戦力が期待できる経験者を求める傾向があるが、鮨萬では毎年二~三人程度の新卒採用も実施している。一方、入社から三年間は裏方の仕事をさせるという旧来の慣習を撤廃し、早くからお客様と接する機会を持たせるようにした。さらには社長みずから、店に立つ際のマナーや社会人としての常識を教えつつ、次世代のリーダー育成に注力している。また、主力事業の一つであるレストランでも、将来的に料理長となる人材の育成に向け、取り組みを進めている。各部門の管理職についても、今後はOJTに終始することなく、外部での研修も組み合わせ、会社としてのステップアップを図っていく考えだ。
◆「大阪すしの老舗 400年企業をめざして(3)」へ続く
◆『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2014年11・12月号より