ラーメンと言えば福岡・博多の豚骨ラーメン。ラーメン人気店の話題になると、必ず上位に名前が挙がる「博多一幸舎」は、その激戦区の博多で2007年に創業後、熾烈なラーメン業界において、10年足らずで海外にも店舗を広げる大手ラーメンチェーンに成長した。その原動力と歩みについて「博多一幸舎」を展開するウインズジャパン創業者・入沢元さん(「松下幸之助経営塾」塾生)に話をうかがった。

 

<使命に生きる>
「社長になる」と決めた男の志――part1

「社長になる」幼少期に生まれた志

一幸舎、その店名には「『一』つでも多くの『幸』せをお客様やスタッフ、関わる人すべてに与えられる空間『舎』をつくりたい」という思いが込められている。同社は博多の大名本店をはじめ、福岡県内で七店舗、県外では京都、大阪、東京等に六店舗を出店。二〇一一年にはインドネシアのジャカルタに海外一号店を出店した。その後、シンガポール、中国、香港、台湾、オーストラリア、アメリカ等に計三二店を出店し、ラーメン業界の大手チェーン店としてグローバル展開を図っている。また、業態面ではラーメン店に留まらず、創業翌年に麺工場を開業。麺、食材、スープを自社製造し、自店舗だけでなく他社へも供給している。

 

十年間で規模、収益を着実に伸ばしてきた博多一幸舎。「まさか自分がラーメン店を展開するとは思っていなかった」と明かす入沢さんだが、幼少期から確固たる志は自覚していた。それは社長になること。しかも「ただの社長ではない。絶大な社長になりたかった」と言う。そんな入沢さんの志はどのように育まれていったのだろうか。

 

入沢さんは昭和四十七年に北九州市で生まれ、幼少期に博多に移り住む。「両親は二人とも耳が聴こえません。聴覚に障害があるんです。私はその長男に生まれ、五歳年の離れた弟がいます」。耳の不自由な両親のもと、入沢さんは小さい頃から家族内の伝達係として両親を助けてきた。「当時、父が工事現場で働いていたんです。そこの親方から電話で現場の知らせが入る。私が毎回電話を取って手話で父に伝えていました」。

 

小学三年生の時、入沢さんは将来を方向づける強烈な光景に出くわす。父の働く会社の社長が入沢さんの自宅を訪れた日のことだった。「親父がペコペコと頭を下げているんです。当たり前のことかもしれませんが、それがショックだった」。当時の入沢さんにとって、父というのは何よりもすごい存在。そんな父が頭を下げる姿を見て「情けないというか、残念な気持ちになりました」と振り返る。同時に「社長というのは絶大な存在なんだな」という思いが胸に強く刻み込まれた。「自分も力をつけて社長になろう」。子供心に家庭が決して裕福ではないことも感じ取っていた。「社長になって家族を支えよう」。入沢さんは心に決めた。

 

自分が社長ならどうするか

「勉強が嫌い、コネもない、技術もない。そんな自分が社長になるための最短の道は何だろう」。その後の進路選択は、どうしたら社長になれるのかが基準になった。高校卒業後は親戚のつてで建築業に携わる。「時代はバブル後期。仕事は多く、経営者は派手な生活を送っているように見えました。でも、3K(きつい、汚い、危険)の建築業は基本的に人がやりたがらない。上に行けば行くほどスペシャリストは減っていくだろう。これなら社長になれる確率は高いんじゃないか」。そう考えた入沢さんは、家の解体業を始め、土木業、設計施工業など複数の会社で経験を積む。雑用からスタートし、いろいろな現場を見て仕事を覚えていった。技術の高い会社もあればそうでない会社もある。経験の浅い社員のやる気を認めて積極的に現場を任せてくれる社長もいれば、人を育てようとしない会社もある。「十八歳の時から、三十歳で社長になると決めていた。だからいつも、自分が社長だったらどうするかと考えながら社長を見てきました」。いい面も悪い面も学び尽くしたと感じたら、次の会社に進んできたという。

 

「自分は両親と弟の面倒もみなければならない。人に負けない技術をつけて、資金をためて、信用をつける。社長になるための基盤を早くつくらなければ」。会社を起こすためにダンプカー一台を買えるくらいの現金を持とうと昼も夜も働いた。いつでも社長になれるように現場の人間関係づくりにも気を配った。

 

しかし、景気の波に左右され、建築業に陰りがみえ始めた頃、入沢さんは「このままこの業界にいていいのだろうか」と疑問を感じるようになる。「建築業は手形決済が多く、仕事が完了しても入金は二~三カ月あと。その一方で従業員の給料は現金で毎月発生する。建築業の社長には常に資金繰りのリスクがつきまとう」。入沢さんは現金商売へ気持ちが傾いていく。「建築業からいったん離れ、新しいことにチャレンジしてみよう」。あては全くなかったが、現金商売で、長く必要とされる事業を求めて模索し始めた。

 

ラーメンへと導かれた出会い

そんな時に出会ったのが弟の友人、吉村幸助さんだ。吉村さんは現在、博多一幸舎の大将をつとめている。一幸舎の味の総責任者。いわば「博多一幸舎のラーメンは吉村幸助の味」である。当時、吉村さんはあるラーメン店の店長を辞めたばかり。彼もまた次の進路を模索していた時期だった。

 

吉村さんは板前の父と居酒屋を営む母のもと、小さな頃から料理にふれ、 自然に食の世界へ入っていった料理人。自分の味を極めたいという強い気持ちを持っている。「屋台をひいてラーメンを売ってみようと思っている」。吉村さんはラーメンへの熱い思いを入沢さんに語った。

 

入沢さんは吉村さんがどれほどおいしいラーメンをつくるのかよく知らなかったが、ラーメンに懸ける吉村さんの気迫はひしひしと感じ取っていた。「おまえのラーメン、一日に何杯くらい売れる?」。入沢さんの問いかけに、隣にいた吉村さんの弟子が自信たっぷりに答えた。「大将(吉村)のラーメンなら三〇〇杯は売れます」。その一言で心が決まる。「一緒にやってみるか。ラーメン屋を出そう。資金はある」。入沢さんは吉村さんの思いを聞きながら、自分の原点を思い出していた。「堅いビジネスばかりを思い浮かべて、慎重になりすぎていたが、自分にもそんな熱い気持ちがあったなあ」と。社長になると決めていた入沢さん三十一歳、自分の味を世に出したい吉村さん二十七歳。二人の出会いが博多一幸舎の始まりである。

一幸舎2.png

新本店の外観
福岡市博多区博多駅前3-23-12 光和ビル103号

 

博多のラーメン屋を本物の企業に(2) へつづく

経営セミナー 松下幸之助経営塾


◆『衆知』2016.11-12より
衆知2016.11-12


 

DATA

株式会社ウインズジャパン(博多一幸舎)

設 立:2007年6月
資本金:1000万円
本部所在地:福岡市博多区博多駅東2-13-25
従業員数:社員60名 アルバイト250名
店舗:〈国内〉13店舗 〈海外〉32店舗

 

↓「松下幸之助経営塾」のfacebookがスタートしました!

松下幸之助経営塾フェイスブック