ラーメンと言えば福岡・博多の豚骨ラーメン。ラーメン人気店の話題になると、必ず上位に名前が挙がる「博多一幸舎」は、その激戦区の博多で2007年に創業後、熾烈なラーメン業界において、10年足らずで海外にも店舗を広げる大手ラーメンチェーンに成長した。その原動力と歩みについて「博多一幸舎」を展開するウインズジャパン創業者・入沢元さん(「松下幸之助経営塾」塾生)に話をうかがった。

 

博多のラーメン屋を本物の企業に(1) からのつづき

 

<使命に生きる>
「社長になる」と決めた男の志――part2

開業までの困難

事業の立ち上げにあたり、まず立ちはだかったのは店舗探し。まだ若く、飲食店経営の経験がなく、その上当時は無職、という二人に物件を貸すところは見つからない。店が決まるまで数カ月を要した。店のロケーションをめぐり、入沢さんと吉村さんの意見も異なった。場所にはあまりこだわらず、賃料の安いところからスタートしたい入沢さんに対し、吉村さんは「博多ラーメンと名乗るからには博多でしかやるつもりはない」と譲らない。

 

オープンの目途は立たない一方で、吉村さんとその弟子の給料は発生する。その上吉村さんは釜や器など、使う道具にもこだわった。「このままだと資金の蓄えがなくなってしまう。開業どころか、店をやる前につぶれるんじゃないか」と入沢さんは冷や汗をかいた。

 

ラーメン一杯の値決めでも二人の意見は異なった。吉村さんは一杯六〇〇円を主張。当時の博多ラーメンは三五〇円から五〇〇円が主流。六〇〇円を超える価格設定は博多一、二といわれる有名店の値段だった。「高すぎる、絶対に売れない」と言う入沢さんに対し、「六〇〇円でやる。僕のラーメンはそんなに安いものじゃない」と吉村さんは言い切った。「わかった、好きなようにやれ」。入沢さんは腹をくくった。

 

そうして迎えた開店日。不安な入沢さんの予想に反し、店にはオープン前から長い行列ができた。お客様からも「こんなラーメン食べたことない。すごいな」という声が聞こえてきた。「もしかしたら吉村は、将来博多一のラーメン屋になるんじゃないか」。そんな期待が入沢さんに芽生える。「こいつに賭けてみよう。二十年後に日本一のラーメン職人になるよう育てていこう」と決めた。「意見の対立もあったけど、今にして思えば、吉村にはその頃からラーメンの値段、ブランドのイメージができていたんだなと思います」。博多一幸舎の商品戦略について、入沢さんは吉村さんに全幅の信頼を寄せている。

一幸舎4.png

 

ラーメン屋から企業へ

入沢さんが組織を大きくしようと思ったきっかけがある。創業して間もない頃、社員を連れて中洲に飲みに行った時のこと。店の名前を聞かれ、一幸舎と答えるも、誰からも「知らないなあ」と言われた苦い出来事である。「大手の有名店ならまだしも、小さなラーメン屋なんかでよく働くねえと言われた気がしたんです。とてもくやしくて、絶対にこいつらを大きくしてやろうと思った」。入沢さんに一ラーメン屋から企業を目指す新たな志が生まれた。

 

その後、博多の大型複合施設「キャナルシティ博多」のラーメンスタジアムに店を構えたことが契機のひとつになる。ラーメンスタジアムは全国の有名店が集まる名所で、しかも法人でなければ入れない。だが、入沢さんと吉村さんの努力の甲斐があり、一幸舎は唯一の個人店として入ることができた。そのことが店のブランド力を上げた。一幸舎の名は県内に浸透し始め、県外へも店舗を広げていく。

 

入沢さんには組織づくりのビジョンがある。「ラーメン屋の社長は、店舗数が増えて羽振りがよくなると、外車に乗ったり芸能人のような恰好をしたりする人もいる。でも、そういうのはだめだと思う。一幸舎を博多一のラーメン屋にするためには、ラーメン屋の親父が尊敬され、その親父こそが社長なんだというスタイルをつくり上げることだと思っています」。ラーメン屋の親父(社長)が厨房に立ち、お客さんと向かい合う。味に真摯で、つくるものは本物。そんな家業的なスタイルを企業化すること、それが入沢さんのビジョンだ。「尊敬に値する親父が店にいる。その下で働く者が親父の精神を継いで新しい店をつくる。本物をつくる人が街の中に少しずつ増え、そんな姿を見た若者たちが自分も一幸舎の親父になりたいと思う。それを二十年、三十年と続けていけば、誰にも真似されない本物の企業になれる」。

 

そのために必要なのは人材を育てることだと入沢さんは考えている。本物の博多ラーメンをつくることができ、それを語り、広めることができる人材。「そして、本物の博多ラーメンとは何かを考えた時、博多の文化を知り、博多の歴史を語り、博多の心意気を持った職人たちがつくるラーメンだという思いに至ったのです」。

 

本物を追求するために、入沢さんは七年前から社員たちと博多祇園山笠に参加している。祇園山笠とは七百七十五年も続く博多の伝統的な神事。参加するためには地元住民であることや既参加者の紹介を受けるなどの条件がある。「博多っ子でなければ出られない伝統行事。山笠に出て、地域に貢献する。博多のことをちゃんと知っている人間になることが本物への第一歩だと思ったんです」。山笠に参加する企業の中には、「山笠休暇」という名称で正式に休みを認めるところもある。「山笠の時期はうちの店にとっても書き入れ時ですが〝うちは山笠なので休みます〟と言えるくらいの企業になりたい」と目標を掲げる。

 

レシピがあればどこでもできる。一幸舎はそんなラーメンを目指しているわけではない。博多のスピリットを持つ人がつくることに意味がある。「味はレシピで再現できても、精神は真似できない。会社が本物になるためには、数を増やすだけじゃなく、どれだけ本物をつくる人を世界に広められるか。それが一幸舎のブランド戦略です」。入沢さんは現場で指揮をとる「本物」を数多く輩出することが、社長としての自分の役割だと考えている。


◆博多のラーメン屋を本物の企業に(3) へつづく

 

経営セミナー 松下幸之助経営塾

 

◆『衆知』2016.11-12より

衆知2016.11-12

 

DATA

株式会社ウインズジャパン(博多一幸舎)

設 立:2007年6月
資本金:1000万円
本部所在地:福岡市博多区博多駅東2-13-25
従業員数:社員60名 アルバイト250名
店舗:〈国内〉13店舗 〈海外〉32店舗


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