カメラのシャッター用ばねの製造に始まり、顧客の要望に応じて様々な精密機器のばねへと販路を広げてきた小松ばね工業は、国内有数の極小・精密ばねのメーカーである。職人肌の創業者急逝後に、混迷する社内を立て直したのが小松節子現会長で、後継者は長女の万希子社長(「松下幸之助経営塾」卒塾生)。町工場には珍しく女性経営者が二代続く。穏やかな社風のもと、培われた熟練の技術力に磨きをかけて次代に挑む姿をレポートする。
◆超精密・高品質への挑戦(2) からのつづき
<使命に生きる>
女性経営者二代が、ばね製造の熟練技術者を活かす――part3
国内産「超高品質ばね」で勝負
二〇一一年、長女の万希子さんが社長を継承し、社長には二代続けて女性が就任することになった。万希子さんの一歳年下の弟久晃さんは、インドネシアの子会社の責任者として存分にその経営手腕を発揮している。
二十八年間社長を務めた節子さんは、応接室に花や季節の小物を飾るなど、女性らしい濃やかな心配りで会社の雰囲気をつくり上げてきた。この穏やかな社風を、万希子社長は受け継ぐ。
「インドネシアの子会社を弟が引き受けてくれたので、私は国内に専念できます。こちらでは、何かを劇的に変えるのではなく、まずはこれまで続いてきた良い面を着実に育てていきたいと考えています。役職の数や登用方法も、いたずらに社員の競争心をあおるような仕組みや制度をできるだけつくらないようにしています。
社員もどちらかというと、自分の仕事をどれだけ深めていけるかというほうに関心を持つ人が多いですね。当社の仕事は、そういう人にはぴったりなので、社員の定着率は高いのです。
技術者ではない私の役割は、世界に誇れる熟練の技を持つ社員たちが安心して働ける場を整備しつつ、彼らが思い切って挑戦できる環境を整えることだと思っています。製造現場における社員教育はOJTが中心なので、現場で社員を成長させていく社風づくりを目指しています。また、朝は六時半過ぎには出社し、業務をこなしつつ、何かトラブルはないか、社員の様子はどうかといったことに気を配っています」
と、万希子社長。だが、社内の雰囲気は穏やかでも、会社の外はいつもそよ風というわけではない。時には暴風雨に見舞われることもある。なかでも、社長就任前の二〇〇八年に起きたリーマンショックは大揺れの事態だった。
「その年の五、六月頃から出荷量がやや落ちている感じはしました。なんとなく気がかりになっていたところ、秋になって驚くほど落ち込んだのです。さすがにあの時は心配になりましたが、会長(当時社長)は泰然として『会社はそんなに簡単につぶれない』と。それで私も覚悟を決めて、目の前のできることを一つひとつ進めていくことだけを考えました。社員に対しては時短や休業を求めざるをえませんでしたが、みんな状況をよく理解して我慢してくれました。とても感謝しています」(万希子社長)
この時、売上が激減しても財務的に持ちこたえられたのは、小松ばね工業が節子社長の代から無借金経営にシフトしていたからである。
「経営者がお金の工面で走り回ることほど無益なことはありません。儲かった分をどんどんみんなに配分すれば一時的には喜ばれますが、配分するにも限度があります。会社継続のための内部留保はしっかり確保するという考え方でずっとやってきました。ですから宮城県柴田町の船岡工場を大河原工場へ移転した時も、借金なしで建てることができたのです」(節子会長)
手形に関しても「発行しない」「もらっても割り引かない」という方針である。万希子社長の代になっても、財務面の堅実路線は貫いてきた。これが、多少のことでは全く動じない小松ばね工業の強さをつくってきたのである。
堅実経営とともに、万希子社長は「お客様に必要とされる」という経営理念もしっかり継承している。理念実現のための社員行動綱領――「強く、明るく、和やかに」は、毎日職場ごとに行なわれる朝礼や昼礼のほか、全社員が集まる時にも唱和している。全員で声を揃えて唱和することで、「ともに仕事をする」基盤がつくられると考えているからだ。
創業者が定めた「社員行動綱領」
課題は、これから先の売上をどう確保していくかだ。得意先である日本の製造業はリーマンショックを機に海外進出がますます加速し、国内だけで従来の売上を取り戻すのが難しい状況が続いている。そこで、海外市場を視野に入れて海外展示会に積極的に出展し、主にドイツでの展示会への出展が少しずつ実績につながっている。その際には、万希子社長自身が窓口になって見積から出荷、請求までを、社員の協力を得ながら行なっているという。
一方、得意先が海外に出るからといって、万希子社長にはあわてて後追い工場進出をしようという気配はない。なぜなら、海外で日本国内と同じ品質のばねを製造することが至難の業であることを、インドネシアの子会社を通じて身にしみて感じているからである。生活文化や労働観の異なる海外では、日本の職人のようにみずからが腕を上げて、製品の品質に強いこだわりを持つ人材を育てるのは容易ではないのだ。
確かに海外のほうが人件費はじめ諸経費が安く、効率的かもしれない。ただし、日本の工場と同様の精度にならないので、結果的に大量のロスも出ているのが現実だ。久晃さんの経営努力によって軌道に乗せることができたインドネシアからさらに手を広げて海外展開することは当面考えず、国内生産で勝負していくつもりだ。
「今後、国内では量よりも質の勝負になります。日本でしかつくれない製品、小松でしか実現できない超高品質ばねにこだわります。そうすれば、国内にいながら海外市場も開拓できるはずです。そしていかに世界のお客様に具体的かつ積極的に提案していけるか。そこへのチャレンジを続けていくことが使命だと思っています。
そのために私自身は、正解も終わりもない経営の世界で常に先を見極め正しい判断ができるよう、学びを怠らないようにしています。『松下幸之助経営塾』の受講は自社の存在意義を見つめ直す機会になりましたし、製造業の女性経営者が集まる『ものづくりなでしこ』への参加は、他の経営者の理念と実践を学び自社に活かすきっかけになっています」(万希子社長)
東京都大田区――住宅や町工場が密集する地域で、大きな製造物をつくるには立地的に無理があった。そこで、この地の中小企業は微細加工、超精密加工で道を切り拓いた。小松ばね工業も、その代表的、典型的な企業の一社である。穏やかな女性経営者、穏やかな社風のもとで、日本人の根底にある技術者魂、職人魂が、さらに微細な花を咲かせることだろう。
(おわり)
小松ばね工業株式会社
[代表取締役]小松万希子
[本社]〒143-0013
東京都大田区大森南5-3-18
TEL 03-3743-0231
FAX 03-3743-0235
創業...1941年
設立...1952年
資本金...1億円
事業内容...精密ばね製造・販売