経済ジャーナリストの石山四郎氏は、松下幸之助とアメリカの実業家であるルイス・ランドボルグ氏(Louis B. Lundborg)の共著を企画しました。ランドボルグ氏はスウェーデン系アメリカ人であり、明治39(1906)年アメリカ合衆国モンタナ州ビリングス生まれ。貧困な家庭でしたが、苦学してスタンフォード大学を卒業し、バンク・オブ・アメリカで副社長、会長を歴任しました。幸之助と生い立ちが似ているので、石山氏の目に留まったということです(録音№1716)。

 石山氏は、この構想に10年を費やしたと書いています(※1)。当初、石山氏は経営学者のピーター・ドラッカー氏(Peter Ferdinand Drucker)と幸之助との往復書簡を企画し、昭和47(1972)年10月31日から取材を開始しました(録音№1309、4720)。しかし『人間を考える』の脱稿後、幸之助は昭和48(1973)年末まで2年間にわたって体調不良だったこともあり、取材は進まず、石山氏は企画の変更を余儀なくされました(※2)。


 ランドボルグ氏との面会の約1年前、石山氏による取材で、幸之助は日本が「この三十年間は、アメリカのとおりやったでしょう」「それまあ、一時成功したけど、今もう行きづまったでしょう。だからやっぱり日本、考えないかんですよ」(録音№1716)と述べており、日米の違いを特に念頭においていたようです。その後、石山氏は経営に関する同じ質問状を幸之助とランドボルグ氏に送り、それぞれで答えを書いてもらう形で書籍を構成しました。


 昭和54(1979)年12月4日、幸之助はハワイへ行き、翌5日シェラトンホテルでランドボルグ氏と面会しました(録音№1787・写真)。まだ書籍が発行されていない段階でしたが、幸之助は政治を主題にして2冊目を出したいと言っています。

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ランドボルグ氏とハワイのシェラトンホテルにて


 本書で、幸之助は「国籍を異にしても、回答の基調は相通じるもの」があると述べ(※3)、ランドボルグ氏との共通性について指摘しました。石山氏は巻末の「謝意をこめて」(367~374頁)で「翻訳には難渋した」「長かった。そして最後は、短かった」と書いており、質問作成には本田宗一郎、丹羽正治両氏など21名の協力を得たと記しています。



1)松下幸之助 ルイス・ランドボルグ『日米・経営者の発想』(PHP研究所、1980年)373頁。


2)以前から幸之助はドラッカー『断絶の時代』を念頭に置いて、「断絶という言葉はね、僕はつまりあれに対してはね、承服しないものがある」(録音№1144)と述べていました。しかし石山氏の取材以降、一切言及しなくなっており、その後のドラッカーについての考えを示す資料は見当たりません。


3)前掲『日米・経営者の発想』巻頭口絵の頁より。