昭和21(1946)年11月3日に松下電器の一組織として発足したPHP研究所は、昭和37(1962)年1月8日、「株式会社PHP出版社」として独立した会社になりました。『業務日誌』には、「本日より、株式会社PHP出版社となり、松下会長が社長となられる」「(真々庵の)元居間を改築し、出版関係の事務所にし、本日移転完了」と記されています。
PHP出版社の「目的」は、第一に「書籍、雑誌の出版ならびに販売および社会問題の研究」(PHP研究所誌)、第二に「前号に付帯または関連する一切の業務」とされました。「取締役の氏名」として「松下幸之助」「松下正治」「高橋荒太郎」「大兼信幸」「錦茂男」の5名、「在籍従業員数、13名」と記録されています。資本金は2億円、同月1月21日をもって移転登記が行われ、登記上の住所は「大阪府北河内郡門真町1006番地」(※1)から「京都府京都市左京区南禅寺草川町9の5」に変更となりました。
同年6月8日、6割増資され、資本金は3億2,000万円となりました。増資した1億2,000万円の発行株式数は12,000株であり、「額面1株の金額、金10,000円也」(PHP研究所誌)とされています。
この時点では、真々庵の庭の維持費や来庵者を迎える費用は、PHP出版社が負担することになっており、他社の株式を保有することで得られる配当金は営業外収益として計上されていました。しかし、これが大阪国税局による監査の結果、「当社の損益と認め難い」(PHP研究所誌)とされ、引き続き改組が検討されることになります。
1)PHP研究所は、昭和29(1954)年2月3日に松下電器本社の門真から、西宮の光雲荘に事務所を移転しており、実際の住所は兵庫県西宮市名次町三丁目2番地でした。当時発行されていた『PHP』の奥付には、西宮の住所が記載されています。