活動を再開して以降、昭和36(1961)年と翌昭和37(1962)年、11月27日の松下幸之助の誕生日には、松下電器社員有志が中心となって誕生日祝賀会が開かれました(PHP活動〈34〉参照)。翌昭和38(1963)年からは、PHP研究所所員が幸之助の誕生日に向けて、天皇陵や神社を巡礼しています。
昭和38(1963)年は、『京都近郊歴代天皇陵御印』と題する朱印帳と、天皇陵を撮影した写真帳が2組残されています。朱印帳の1頁目には「ここに謹んで/日本国の繁栄と/松下家の御長久と/松下会長殿の御長寿を/心から祈念いたします/昭和三十八年十一月二十七日/PHP研究所一同」と記され、朱印帳と写真帳には、京都市山科区にある天智天皇陵から京都市伏見区にある明治天皇陵まで、69柱の朱印と写真がそれぞれ納められました。
翌昭和39(1964)年は、9月13日から奈良方面の天皇陵めぐりが開始されました(PHP研究所誌)。『大和周辺歴代天皇陵御印』と題する朱印帳と写真帳が2組残されており、2冊の写真帳と1冊の朱印帳には、奈良県橿原市の神武天皇陵から大阪市河内長野市の後村上天皇陵まで48柱が納められ、もう1冊の朱印帳はさらに奈良県奈良市の光仁天皇陵1柱が追加されています。1年目は京都市とその周辺のみだったのに対し、2年目は、奈良県奈良市、橿原市、桜井市、吉野町、明日香村、大阪府堺市、羽曳野市、河内長野市など広範囲に足を延ばしました。
3年目はより早く、昭和40(1965)年8月18日、PHP研究所再開4周年記念式と第49回朝食会が開催された日から「今年度会長ご誕生日のお祝いのための『神社めぐり』」(PHP研究所誌)が開始されました。「まず手始めに、錦(茂男)、長尾(泰)、深田(薫)の3名が平安神宮におまいり」とあり、「ご誕生日まで京都近辺の神社を分担してめぐることとなった」と記録されていて、『京都近郊神社御印』と題する朱印帳と写真帳が2組現存しています(上写真)。いずれも平安神宮から岡崎神社まで、主に京都市内の48社を巡礼しており、愛宕山頂(標高924メートル)にある愛宕神社も参拝しました。