フィリップス社との技術提携によって設立された松下電子工業は、昭和37(1962)年10月に創立10周年を迎えました。フィリップスの重役が日本を訪問し、記念式典やパーティーなど、数々の行事がとりおこなわれた様子がPHP研究所の記録に残っています。
昭和37(1962)年10月15日、フィリップス社長夫妻が自家用ジェット機で大阪の伊丹空港に到着し、松下幸之助の出迎えを受け、京都グランドホテルで開かれたカクテルパーティーに招かれました(松下会長日誌)。幸之助はフィリップス社長について「精神的な人で、長らく人事面だけでなく、各分野を担当されて来たので、人間としても社長としても理想的な人である」と人物評をしています。
同月16日、電子工業で創立10周年記念式典を挙行、約6,600人の社員が第二工場前の広場に集合しました(上写真)。17日、新大阪ホテルにおいてフィリップス社長と幸之助の記者会見が開かれ、18日、松下正治社長の自宅において、「内輪の夕食会」がとりおこなわれています(松下会長日誌)。
19日、一行は南禅寺に隣接する真々庵を訪問し、料亭の土井で晩餐会が開かれました。幸之助は「正式に僕が招待し、P(=フィリップス)社長、随行員、松下の幹部をまじえ、晩餐会を行った。前座として真々庵に招待し、庭をみせ、お茶をあげた。すませ、鴨川おどりを短時間であったがみせ、土井に行った」(松下会長日誌)としています。
21日、幸之助は東京へ移動し、フィリップスのオッテン会長を羽田空港で迎えています。23日、フィリップス社長・会長と共に通産省と皇居を訪れ、会長に勲二等、社長に勲三等が叙勲されました。外務省訪問をへて、幸之助はオランダ大使館主催の晩餐会に主賓として招待されています。
24日、東京における記者会見ののち、帝国ホテルにてフィリップス主催のレセプションが行われました。幸之助は池田勇人・総理大臣に社長と会長を紹介するなど、「4時間立ちづめ」でしたが、「にぎやかで意義があった」(松下会長日誌)と書いています。フィリップス社長は26日、会長は27日にそれぞれ離日しました。
27日、松下電子工業で販売店の方々約1,000人を招き、パーティーが開かれています(下写真)。幸之助は、これをもって「電子10周年の記念行事は無事一切を終了した。幸いに天候もよく、自分も健康で本当によかったと思う。案外疲れなかった」(松下会長日誌)と述べました。
販売店の方々を招いたパーティー