初期の『PHP』誌は取次を通じて書店へ配本されることもありましたが、昭和25(1950)年7月17日に活動を主に『PHP』誌発行のみにとどめて以降は、書店向けの出荷はごく一部となりました。真々庵において研究活動を再開した後は、取次を通さず、書店との直接取引で少しずつ配本を増やしていった記録があります。
まず、昭和40(1965)年に入り、新聞広告は『朝日新聞』に絞って毎月初に掲載するようにしました(※1)。同年1月19日の研究会で松下幸之助は、「本屋でどんどん売ってもらうというところまではまだいってないけども、一ぺん売れるか売れんか(新聞に)広告を出したから置いてみてくれ」(速記録№4002)と書店に依頼することを指示しています。
記録によると、昭和40(1965)年2月から「大阪地区3ヶ所、オーム書店、旭屋、文雅堂、京都地区2ヶ所、オーム書店、萬字堂にテスト的に納本し売れ行き反響を調査」(PHP研究所誌)しました。昭和41(1966)年4月発行の『PHP』誌第215号を扱っていた31の書店は下記のとおりです。
昭和41年4月発行『PHP』誌第215号取扱書店一覧
1962~1967年『PHP所史』ファイル22頁より作成
その後も少しずつ取扱店を増やし、書店での販売を拡大していきました。記録には「篤志の書店でPHP誌をお取扱い頂いている」と記されていて、PHPの理念に賛同してもらえる書店を一軒一軒開拓していった様子がうかがえます。
1)『PHP研究所誌』136頁。