Q127:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?
昭和30(1955)年、松下電器は福岡に九州松下電器を設立します。さほど利益が期待できず、社内の反対がある中で、幸之助がその決断を下した理由は何でしょうか?
(1)韓国への進出も考えていたから
(2)地域の要請に応えるため
(3)九州は思い入れのある土地だったから
解答&解説コラム
(2)が正解です。昭和30(1955)年、松下電器は福岡市はじめ九州各地から、工場の建設を強く要望されていました。ある日、幸之助は一人の中堅幹部を呼び、その是非について意見を求めます。幹部は率直に、「私は賛成できません。いろんな面で不利だと思います」と答えました。
反対理由の一つひとつに耳を傾けたのち、幸之助は次のように説きます。
「みんなもそう言っとる。でもわしは引き受けることに決めたんや。今、職がないことによる人口の流出が地域社会で問題になっている。ここでわれわれが九州に貢献することは、日本に貢献することであり、松下電器の責任を果たすことでもある」
“企業は社会の公器”という信念のもと、より大局的な観点から、ときには若干の経済性を犠牲にしてでも人々の要請に応えるべきではないかと訴えたのです。それからしばらくして、この中堅幹部に“新設の九州松下電器に実務担当責任者として赴任せよ”との命が下ったのでした。