Q135:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?

昭和47(1972)年4月、鳥取県米子市にナショナルマイクロモーター株式会社が設立されました。そのきっかけとして、あるとき幸之助に地元への工場建設を強く要望した人物はだれだったでしょうか?

(1)鳥取県知事
(2)米子出身の松下電器社員
(3)旅館の仲居さん

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解答&解説コラム

 (3)が正解です。昭和41(1966)年10月、幸之助はある大会に出席するため、鳥取県米子市を訪れました。その際、宿泊した旅館で朝ご飯を食べていたとき、仲居さんから突然こう打ち明けられます。「会長さん、ぜひこの地に松下電器の工場を建ててください。米子には働く場がなく、若い人たちは皆大阪や東京へ出て行ってしまい、さびしい思いをしています」。幸之助は、市長や市会議員が言うのであればともかく、旅館の仲居さんまでがそんなことを考えているのかと驚き、感動しました。

 

 こうした体験から幸之助は、「現在の実情を考えれば、多少の経済性を犠牲にしてでも、過疎に悩む地方に貢献していくことがわが国企業に課せられた使命である」という方針を打ち出します。これに基づき、その後松下電器では、人口減少著しい県から優先的に工場展開を進めました。

 

 米子市にナショナルマイクロモーター株式会社が設立されたのは、昭和47年4月のことです。のちに仲居さんは、「今思えばたいへん厚かましいお願いをしたものですけれど、本当に切実な自分の気持ちでした。それを取り上げていただき感謝しています」と語っています。

 

 幸之助は早い時期から、高度成長の継続により日本の過疎過密が進行することに警告を発していました。“バランスある姿こそが発展・繁栄にとって重要”との信念を持っていたのです。