Q139:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?

松下電器とフィリップス社との合弁でつくられた松下電子工業は、当初苦しい経営状態が続きました。ある新聞記者から、「この提携は失敗ですか」と問われた幸之助は何と答えたでしょうか?

(1)「実は提携調印の際、大いに悩み迷った」
(2)「日本とオランダでは文化が違う」
(3)「これは私心で始めたことではない」

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解答&解説コラム

 (3)が正解です。昭和27(1952)年、松下電器がオランダのフィリップス社と合弁で設立した松下電子工業は、初めの数年間、苦しい経営状況が続きました。そのころ開かれた新聞記者会見の席上、「あなたは社内外から反対があったにもかかわらず、技術提携し立派な工場をつくられた。けれども経営成績は芳しくないようですね。この提携は失敗ですか」と問われた幸之助は次のように答えています。

 

 「そうは思いません。というのも、私がフィリップス社と技術提携したのは、松下電器の発展のためでも松下幸之助という名前を世間に広めるためでもなく、日本のエレクトロニクス工業を早く世界水準にもっていきたいという一念からのことです。決して私心でしたのではありません。ですから、必ず成功させねばならんのです」
 幸之助の回答に、記者は沈黙したそうです。

 

 その後昭和31年度から、松下電子工業の業績は一気に伸展し、日本の電機業界の技術力を高めるのに大きな役割を果たしました。幸之助は、“企業は社会の公器であり、その事業もまたいろいろな形で社会とつながっている。世間の人々にプラスの結果をもたらすことにおいてのみ、事業の存在価値がある”と考えていたのです。