Q150:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?

昭和9(1934)年9月、室戸台風により松下電器の各社屋は大きな被害を受けました。風がおさまりかけたころ、工場に到着した幸之助は、出迎えた工場長から「ご案内します」と損壊した現場のほうへ促されると、どのような行動を取ったでしょうか?

(1)みずから工場の復旧に取りかかった

(2)社員の無事を確認して回った

(3)一言告げて立ち去った

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解答&解説コラム

 (3)が正解です。昭和9(1934)年9月21日、日本の気象観測始まって以来最大の室戸台風が、四国・近畿地方を襲い、全国の死者・行方不明者も3000人以上にのぼりました。前年に大開町から門真へ移転したばかりの松下電器も、本社一部損壊、乾電池工場全壊、配線器具工場全壊という大打撃を受けます。

 

 ちょうど夫人が風邪をこじらせて入院中であり、風がおさまりかけた昼ごろ、幸之助は病院から駆けつけました。出迎えた工場長は幸之助の胸中を思いつつ、「いっぺん見て回ってください」と倒壊した現場のほうへ導きます。ところが幸之助は、「きみ、こけたら立たなあかんねん。ちっちゃい赤ん坊でもすぐ立ち上がるで。そないしいや」とだけ言い残すと、そのまま立ち去ったのです。工場長は一瞬唖然としたものの、幸之助の態度から"過ぎたことにいつまでも拘泥していてはいけない。今やるべきことをやる"という、経営者としての心構えの違いを痛感しました。

 

 数日後、幸之助は幹部を招集し、「われわれだけでなく、お得意先である問屋さん、販売店さんもたいへんな被害を受けている。お見舞金をお届けしたい」と呼びかけます。全壊、半壊、床上浸水、それぞれの被害状況に応じた見舞金を用意し、従業員たちは泥海と化した市内に散っていきました。見舞いに行った先々では、みな予期せぬ訪問に驚き、感激したといいます。