Q152:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?
自分自身も若いころから病気がちだった幸之助は、「健康管理も仕事のうち」とたびたび社員へ呼びかけていました。それでも健康を損ねてしまったときには、病気を受け入れた上で、ある心がけが大切だと言っています。それは何でしょう?
(1)何としても治そうと決心する
(2)病と仲よくつきあっていく
(3)一度仕事のことはすっかり忘れる
解答&解説コラム
(2)が正解です。幸之助は20歳のころに肺尖カタルを患い、医者から「50歳までは生きられないだろう」と告げられました。それでも悲観的にならず"これも運命"と受け入れ、自分の体調に配慮しつつ仕事に励んできたのです。そのため社員に対しても、「健康管理も仕事のうちと考え、心を躍らせて仕事に取り組むことを基本に、それぞれのやり方で心身の健康を大切にしてほしい」と呼びかけていました。
しかしながら、いくら気をつけていてもときには健康を損なうことがあります。そんな場合の心の持ち方として、幸之助は自身の体験を踏まえ、次のように説きました。
「不安であっても病気から逃げてはいけない。恐れて遠ざけていれば、病はあとから追いかけてくる。病を味わい、積極的に仲よくつきあえば、最後には病のほうから卒業証書をくれるものである」
社員の健康にも気を配っていた幸之助は、他社に先駆け昭和12(1937)年9月に松下電器健康保険組合、昭和15(1940)年11月に松下病院を開設します。その後、昭和61(1986)年3月に松下記念病院が竣工し、松下電器(現パナソニック)社員とその家族、地域の人々に利用され、健康福祉の面で社会に貢献してきました。幸之助が94歳の天寿を全うし、亡くなったのもまたこの病院です。