Q160:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?
昭和8年、松下電器は大阪府北河内郡門真村(現門真市)に本店と工場を移設しました。門真は大阪市から見て北東の方角、つまり"鬼門"にあたり、当初幸之助も戸惑います。しかし、あるものを想像したことで移転を決意したのです。それは何でしょう?
(1)節分の豆まき
(2)門真村の人びとの生活ぶり
(3)日本の地形
解答&解説コラム
(3)が正解です。昭和7(1932)年5月5日、第1回創業記念式典において幸之助が社員へ松下電器の真の使命を明示して以降、事業活動は一段と力強いものになりました。年末にかけ注文も増え続け、すべての工場をフル稼働し生産にあたっても応じきれないほどの盛況ぶりだったのです。そこで幸之助は、一目見て気に入った門真村の土地に、本店および工場群の移転を考えました。
しかし、門真はそれまで拠点であった大阪市大開町から見て北東、つまり鬼門にあたります。当時の社会風潮から、「わざわざ方位の悪いところへ行くなんて、やめたほうがよろしいで」と忠告する人もあり、幸之助自身も迷いました。そんなあるとき、ふと閃いたのです。
"北東が鬼門というなら、南西から北東へ長く伸びる日本はどこへ行っても鬼門ばかりやないか。気にせんとこ!"
そして社員全員へ、「この門真進出は、迷信を打破しこの地区を発展させるか、鬼門恐るべしの迷信を深くするかのどちらかだ」と奮起を促しました。
昭和8(1933)年7月、松下電器は門真に新本店と工場群を竣工します。松下電器はこの地を拠点に世界的企業となり、門真地区は大阪有数の商工業地帯となりました。幸之助はのちに、「ここに来たからには立派な工場にし、門真の発展に貢献したいと思った。そうした決心がその後の経営において大きな力になった」と述べています。