Q166:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?

昭和36(1961)年1月、松下電器社長を退任した松下幸之助は、経済団体が主催するゼミナール(セミナー、講座)で講演を依頼されることが多くなりました。当初、幸之助はゼミナールについてどのように言っていたでしょうか?

(1)「ゼミナールは好かない」

(2)「ゼミナールこそ次の仕事だ」

(3)「ゼミナールを受講したい」

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解答&解説コラム

(1)が正解です。

 昭和36(1961)年1月、松下電器社長を退任して会長に就任した松下幸之助は、経済団体が主催するゼミナールから、たびたび講演を依頼されるようになりました。当初は、一般的な講話は引き受けていたものの、「私は学者じゃないからゼミナールは好かない」と言って、ゼミナールでの講演はほとんど断っていました。

 変化のきっかけは、昭和38(1963)年2月、和歌山県白浜町で開催された生産性本部主催「第一回関西財界セミナー」における登壇です。「日本の経営者概論」という題で講演をしたところ、予想以上に好評を博し、幸之助は経営者としての自分の経験が、後輩経営者にとって大きな学びになることを実感しました。

 翌昭和39(1964)年2月に同じく白浜町で開かれた「第二回関西財界セミナー」は、事前にPHP研究所で研究員と念入りに議論し、内容を練り上げてから講演に臨みました。このころ、松下電器社員のために講演内容をまとめた非売品の冊子がありましたが、受講者にも配ったところ、前回を上回る反響がありました。

 こうした出来事を経て、幸之助はゼミナールの講演を引き受けるようになると共に、自身の経験を書籍にまとめ、世に広める出版活動を積極的に行なうようになったのです。