Q167:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?

昭和36年8月、松下幸之助は京都市の南禅寺に隣接して真々庵を建立し、PHP研究所の機能を移転しました。そのころ、PHP研究所を訪れた人に対して、幸之助が頻繁に見せていた松下電器の新製品は何だったでしょうか。

(1)カラーテレビ「パナカラー」

(2)パナソニック ホームズの住宅

(3)ラジオ「パナペット」

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解答&解説コラム

(2)が正解です。

 松下幸之助は昭和36(1961)年8月、京都市東山の南禅寺に隣接して真々庵を設け、PHP研究所を兵庫県西宮市から移転しました。このころ、真々庵の敷地の南東の一画に、松下電工(現パナソニック)が開発したプレハブ住宅「松下1号型住宅」が設置してありました。

 真々庵が開所する以前から建築資材が運び込まれて建設されており、PHP研究所の所員2名が家族と共に移り住んでいます。

 松下電器の重役が真々庵に来庵した際はもちろん、社外の来賓が真々庵の日本庭園を見学する場合、幸之助はこのプレハブ住宅も案内しました。政財界の重鎮のほか、研究者、幼児教育家、僧侶、マスコミなど様々な人が見学しており、幸之助は今後の住宅事業への展開について説明して、反応をうかがっています。当時は住宅不足が社会問題となっていたこともあって、見学者の関心は高かったようです。真々庵はPHP研究の場であると同時に迎賓館でもありましたが、さらに住宅展示場としての役割もありました。

 手ごたえを得た幸之助は、丹羽正治・松下電工社長(当時)に対し、今後は住宅事業を「強力に推進する」と述べました。この住宅事業は、現在のパナソニック ホームズへ引き継がれています。