Q172:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?
昭和46(1971)年9月ごろ、「松下幸之助が重病だ」という風説が流されたことがありました。本当はどのような状態だったのでしょうか?
(1)本を書いていた
(2)検査入院をしていた
(3)海外へ行っていた
解答&解説コラム
(1)が正解です。
松下幸之助はみずからの理念の根幹ともいえる人間観をまとめるべく、昭和46(1971)年6月から京都市の南禅寺に隣接した真々庵において、少数の側近と『人間を考える』の推敲作業を始めました。当時の幸之助は、平日には松下病院(現・松下記念病院)の特別室に宿泊しており、週末に自宅に帰る生活をしています。もともと病気がちの体質だったこともあり、特に病気ではなくとも、病院に宿泊するようにしていたのです。
この推敲作業のときは病院と真々庵を往復する生活をしており、松下電器にはほとんど出社していませんでした。すると大阪市北浜の株式市場では、「松下幸之助は病院に入ったままであり、重病ではないか」という風説が流れました。同年9月6日の『株式新聞』は、これがデマであると述べ、松下電器広報の言葉として、「松下会長が病院に泊まっているのは、別荘にいるようなもの」と報道しています。
普段は病院にいると知られるようになると、以後、ジャーナリストが病院を訪ねて幸之助を取材する機会が増えました。『人間を考える』は昭和47(1972)年8月、無事に発行され、世間の話題となると、この書についてのインタビューも病院で行なわれています。