Q42:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?

幸之助は大正6(1917)年6月20日付けで、約7年勤めた大阪電灯株式会社を退社し、独立開業しました。次のうち、退職理由として間違っているものはどれでしょう?

(1)自分の考案したソケットを、上司に無断で販売された

(2)検査員の仕事が楽であり、もの足りなさを感じた

(3)ソケットの製造・販売を事業としてものにしたいと考えた

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解答&解説コラム

 (1)が間違っています。

 

 大正6(1917)年春、大阪電灯に勤めていた幸之助は、22歳の若さで工事担当者から検査員に昇進しました。ところが、一般工事人にとって羨望の的であった検査員という役職でありながら、その仕事内容は部下が行なった電気工事を点検して回り、半日で済んでしまうといったきわめて楽なものだったのです。工事担当者のときのような仕事に対するやりがいや充実感を感じられなくなったことが、退職する一つの動機となりました。(2)

 

 また、幸之助は検査員になる少し前、みずから工夫改良したソケットを採用してもらおうと、試作品を上司の主任に見せています。しかし、一利一害だったため「これではだめだ。使いものにならない」と酷評され、自信があっただけにショックを受けました。このときのこともあきらめきれず、ソケットの製造を自分の事業として何とかものにしたいと独立を決意します。かつて、幸之助が丁稚奉公を辞め貯金局の給仕になるという話に断固反対した父からの、「いつか商売で身を立てよ」という言葉も後押しとなりました。(3)