Q44:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?
大正6(1917)年に大阪電灯を退社した幸之助は、独立して電気器具の製作に着手しましたが、当初は思うように売れませんでした。その苦境を切り抜けるきっかけになったのは、次のうちどれでしょうか?
(1)二灯用差込みプラグの開発
(2)扇風機の碍盤を受注
(3)アタッチメントプラグの商品化
解答&解説コラム
(2)が正解です。
大阪電灯を退職したのち、幸之助は念願だったソケットの改良に取りかかります。しかし、ようやく完成したソケットはなかなか売れず、事業が軌道に乗らない様子を見て、2人の同僚たちも去っていきました。それでも幸之助は悲観することなく、製品を売りに回るとともに懸命に製作を続けたのでした。
そんな時、思いがけず川北電気企業社から煉物を用いた扇風機の碍盤1000枚の注文が入ったことから、苦境を脱します。ソケットの材料であった煉物の技術をもっていた幸之助に声がかかったのでした。幸之助はこの出来事を振り返り、物事は当初の方針通りにいかないことも多いが、困難でも自分がやると決めたことを辛抱強く続けることで、思わぬところから成功の道が開けると述べています。
(1)の二灯用差込みプラグ、(3)のアタッチメントプラグは、大正7(1918)年3月、松下電気器具製作所を創業したあとのヒット商品です。