Q61:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?

大正9(1920)年3月、松下電器では社員同士の福利増進、融和親睦をはかる歩一会(ほいちかい)が発足しました。次のうち、歩一会の活動で行われたことのないものはどれでしょうか?

(1)運動会

(2)機関誌の発行

(3)幸之助の誕生日会

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解答&解説コラム

 (3)は行なっていません。大正9(1920)年当時は第一次世界大戦後の不況が本格化し、企業の縮小・倒産が相次いで社会不安が高まり、社会運動や労働組合運動が激しくなりつつありました。そうしたなかで、松下電器の将来をひらくには、全員が一体の精神でなければならないと考えた幸之助は、従業員の福利増進、融和親睦をはかる組織を発足させたのです。

 

 全員が歩みを一つにし、また一歩一歩踏みしめて進んでいくという意味で、歩一会と命名。結成当初の会員は幸之助を含めた全従業員28名でした。揃いのユニホームを着ての遠足などさまざまな行事が行われたほか、昭和2(1927)年末からは機関誌『歩一会会誌』も発行されました。また、昭和6(1931)年4月には天王寺公園のグラウンドを借り切って第1回運動会を挙行、16(1941)年に甲子園球場で開催された第10回まで続き、全員が一致して事に当たるという“歩一会精神”が醸成されていったのです。

 

 歩一会は、第二次世界大戦後の昭和21(1946)年、GHQの指導により労働組合が結成されたのを機に発展的に解散しています。