Q63:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?

昭和4(1929)年3月、松下電器にとって一つの転機となるできごとがありました。次のうち、その時に行われたこととして間違っているものはどれでしょうか?

(1)松下電気器具製作所を松下電器製作所と改名した

(2)所歌がつくられた

(3)綱領・信条を制定した

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解答&解説コラム

 (2)が間違っています。松下電器の最初の社歌は、昭和6(1931)年3月に制定された歩一会会歌を昭和8(1933)年2月に松下電器製作所所歌としたものです。松下電器の発祥地である大開町の西野田第五小学校の訓導、東逞氏によってつくられました。
 松下電器にとって転機となった昭和4(1929)年3月、幸之助は創業からの名称だった松下電気器具製作所を松下電器製作所と改称するとともに、以下のような綱領・信条を制定しました。

 

<綱領>

営利と社会正義の調和に念慮し、国家産業の発達を図り、社会生活の改善と向上を期す

 

<信条>

向上発展は各員の和親協力を得るにあらざれば難し、各員自我を捨て互譲の精神を以て一致協力店務に服すること

 

 当時、業容が拡大したとはいえ、まだ町工場の域を出ない個人経営の松下電器において、事業を単なる営利手段とせず、社会のために産業人としての本分を尽くすことを経営の基本方針としたのは注目に値することといえるでしょう。